むしろ、他人からの配慮がないから自分はうつになったと語る

対他配慮は社会的成分であるから、社会のあり方と教育の結果であり可変的である。対他配慮が報われなくてエネルギーを使い果たし、結果としてうつになることはかつて多かった。それは対他配慮が主な徳目であり、エネルギーを注入すべき対象であったからである。しかし最近は対他配慮の故に疲れ切るということはない。むしろ、他人からの配慮がないから自分はうつになったと語っている。向きが逆になっている。