自立できない子どもは、気に入られるために「あるがままの自己」ではなく、「偽りの自己」を演じる

子どもを支配したがる親が日常的に使う言葉 「いつか親も変わってくれる」という切ない希望

子どもは親を選べない……。親が精神的に未熟であっても、まだ自立できない子どもは、気に入られるために「あるがままの自己」ではなく、「偽りの自己」を演じるようになる。それは、精神的に未熟な毒親が自ら求める役割を子どもに押しつけた結果だ。
子どもがその役割を受け入れてしまうと、大人になって社会に出たときにありのままの自己ではなく、偽りの自己を演じて、周囲との人間関係に苦しむ羽目になる。全世界でロングセラーになっている『親といるとなぜか苦しい』著者であるリンジー・C・ギブソン氏は、毒親に育てられた子どもが陥るパターンを分析し、親が子どもに投げかける言葉に注目した。

■こうして子どもは親に洗脳されてしまう

 親や世話をしてくれる人から、「ありのままの自己」にしっかりと向き合ってもらえないと、子どもは彼らとのつながりを築くためにどうするべきかを考える。そして、家族の中で居場所を確保するために、「ありのままの自己」でいるかわりに「役割としての自己」あるいは「偽の自己」をつくり出す。

 この「役割としての自己」が次第に、「ありのままの自己」にとってかわっていく。「役割としての自己」の奥底には「なんとかしてみんなの関心を自分に向けてみせる」という苦しい考え方もあるだろう。

 「役割としての自己」は、無意識のうちに身につけていく。意図してそうなる人はいない。

 相手の反応を見ながら、少しずつつくり出し、それが自分の居場所を手にするいちばんよい方法だと考えている。その結果、大人になっても、かつて親に対してそうであったように、誰かに「関心を持ってもらいたい」という願いを持ったまま、役割を演じ続ける傾向が見られる。

 そのような「いい子」を演じ続ける子がいる一方で、すべての子どもが前向きな自己をつくり出すわけではない。多くの子どもが、失敗や怒り、精神障害、精神的不安定といった悲惨な役割を演じているのはどうしてなのだろう。
 実際、すべての子どもに、自制しながらほかの人とうまく交流できる能力が備わっているわけではない。それが答えの1つだ。遺伝的および神経的特徴によって、建設的な行動のかわりに、衝動的な反応をしてしまう子どももいる。

 精神的に未熟な親が、うやむやなままの「役割としての自己」やヒーリング・ファンタジー(いつの日か幸せになれるという希望に満ちた物語)を描いているために、複数の子どもを無意識のうちに利用することがよくある。これがもう1つの答えだ。

 たとえば、ひとりの子どもを、非の打ちどころがない理想の子どもとして溺愛し、ほかの子どもには、親をわずらわせてばかりいる無能な子というレッテルを張るなどだ。

■親の求める役割を積極的に演じる子ども

 子どもが「役割としての自己」をつくり出さざるを得ないようなプレッシャーにさらされる、分かりやすい例が、自信のない親だ。

 子どもの依存心や不安感をあおることによって、自分を子どもの人生の中心に置こうとする。「やっぱりわたしがいなきゃダメね」ということだ。

 父親の例としては、自分の無力さを持てあまし、息子を見下すことで強さを感じようとする(「自分だけがおまえたちを導けるんだ」)。

 自分が腹を立てたり身勝手なことをしたりしているのに、それには気づかないふりをし、子どもが悪いのだと決めつける親もいる(「わたしたちはいい親なのに、あの子たちは卑屈で情けないことばかりするの」)。

 子どもの将来をわざわざ台無しにしようとする親はまずいないが、自分が不安を抱えていると、その否定的で望ましくない資質を子どもの中に見てしまうことがある。

 これは、コントロールすることができない、強い心理的な防御反応だ。子どものころに親の欲求にぴったり一致する役割を見つけると、子どもは早急にその「役割としての自己」になりきる。だが、家族の中で求められる存在になっていく過程で、真の自己はどんどん見えなくなっていく。

 そうして大人になったときに、親密な人間関係づくりができない可能性がある。「役割としての自己」のままでは、心から満ちたりた深い関係は築けないからだ。

 「ありのままの自己」をきちんと表現できなければ、相手には共感してもらえない。共感がなければ、「役割としての自己」同士が仲よしごっこをしているだけだ。

■精神的に未熟な親がわが子に仕かける罠

 役割を演じる努力は、自分自身でいるよりもはるかに疲労する。また、あくまでも「つくりものの存在」なので、不安定で、いつ仮面がはがれるかとおびえてもいる。「役割としての自己」はいつまでも演じ続けられない。遅かれ早かれ、自分が本当に求めている欲求が湧き上がってくる。

 子どものころの「役割としての自己」を大人になってからも演じ続ける人が多いのは、そうすれば我が身を守っていられるし、それしか周囲に受け入れてもらえる方法はないと信じているからだ。だが、演じることに真の自己がうんざりしてくると、思いがけない感情的な症状によって覚醒を促されることがある。

 私のクライアントに、いつも周囲の人からどう思われるかを気に病んでいる人がいた。名前を仮にAさんとする。彼女は集まりなどがあると、相手の顔色をうかがい、不必要に気をつかい、拒まれるのではないかと不安になり、ヘトヘトになると言った。

 彼女は、パニック発作をなんとかしたくて治療に訪れ(実際それはなんとかでき)、最終的には、子どものころに自分がいかに受け入れられていなかったかも理解するにいたった。彼女は亡き父から、自分が無能で愛されるに値しないという思いをいつも抱かされてきた。

 Aさんの発作は、子どものころに信じていたこと――権威ある大人はつねに正しい――に疑問を抱き始めた兆候だった。パニック発作が覚醒を促してくれなければ、彼女は自分を卑下し、不安を抱えたまま他人の顔色をうかがい続けていたことだろう。

■親ではなくひとりの大人として付き合う

 精神科医のマレー・ボーエンによると、子どもが「個」として成長していくにつれ、精神的に未熟な親の思慮に欠ける行動が子どもを無理やりからめとり、それまでのパターンに引き戻そうとしていくという。そして、子どもがその罠にはまらなければ、そういう親は最終的に、さも誠実そうな方法に訴えてくるかもしれない。

 冷静に観察するようになった子どもに対して、親が、子どものことを尊重したり、多少とも心を開いたりといった「らしくない温かさ」を示したら、くれぐれも注意すること。

 さもないと子どもは、「親がやっと自分の望んでいたものを与えてくれるようになった」と思って、かつてのヒーリング・ファンタジーにまたがんじがらめにされてしまうだろう。だから、気をつけること! 

 もし、あなたが「親のことがとても心配だ。いつもなにかしらに不満を抱いている。もっと幸せになってもらいたいのに……」と思っているとしたら、あきらめよう。

 親が不満を抱いているのは、必ずしももっと幸せになることが目標ではないからだ。それはあくまでも子どもの勝手な解釈だと気づいてほしい。

■どんなに愛情を訴えても親は変わらない

 あなたのなかにいる「内なる子ども」はいつでも「親が変わってくれて、自分がずっと望んできたものを与えてもらえる」と期待する。

 だが、あなたがすべきことは、大人としての自分の考えをしっかりと持ち、独立したひとりの大人として親と付き合っていくことだ。今求めているのは、親との大人同士の関係であって、親と子の関係をもう一度築きたいわけではないはず、ではないか? 

 自分の親がおそらく情動恐怖症であり、真の親密な関係に対応できないことを忘れないでほしい。

 子どもが心を開けば、親はそれを引き戻し、子どもの心のバランスを崩して自分の支配下に置こうとする。過度な親密さを恐れる親は、それしか身を守る術がないのだ。

 親は、子どもが親に対して欲求を抱けば抱くほど、子どもを精神的に利用しやすくなる。だから子どもは、ひとりの大人として客観的に考えることでしか、親に対して安心感を抱けない。

 残念だが、親は、あなたの内なる子どもの精神的な欲求におびえて、対処しきれないのが現実だ。

リンジー・C・ギブソン :臨床心理学者