濃密な親娘関係の事件

以下、参考のため採録。

医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質
 5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ。

● 捜査線上に浮かび上がったひとり娘

 ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。

 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。

 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。

 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ

● 「モンスターを倒した。これで一安心だ」

 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。

 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。

 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。

 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、

 「モンスターを倒した。これで一安心だ」

 とのツイートを残していたのである。

● 母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡

 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。

 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より)

 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。

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 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。

 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」

 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった。

● 「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響

 本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。

 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」

 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける。

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● 行く手を阻む母、なすすべをなくした娘

 まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。

 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」

 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。

 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。

 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」

● 礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙”

 二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。

 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。

 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。

 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。

 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた。

● 母親が欲しかったもの、足りなかったもの

 祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。

 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」

 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。

 「アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」

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● これは「毒親」「教育虐待」なのか?

 齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。

 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」

 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」

 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。

 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」

 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」

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● 父親の存在があかりを変えた

 齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。

 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」

 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」

 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった。

● 母親という生き物を理解する

 「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」

 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。

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 あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。

 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」

 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。

 Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。

 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」

 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く。