下書き うつ病勉強会#91 火事としての各種病気と焼け跡としてのうつ病-2 昔の日本のうつ病の診断と治療

【従来のうつ病の分類】

DSM-3以前のうつ病をめぐる状況を書いてみる。

だいたい大きな構図としてはクレペリンの統合失調症【シゾフレニー】と躁うつ病【MDI】の二分法だった。そしてこれは精神科病院で入院患者さんを治療するにあたり、過不足のないものだった。

うつ病は

(1)身体因性(外因、たとえば甲状腺機能異常、脳血管障害後遺症、感染症関連)、

(2)内因性(現在は不明であるが、将来、精神機能不全を説明する脳の構造的変化が発見されるだろうと期待されるもの、シゾフレニーとMDIはこの中に入る)、

(3)心因性(死別反応や悲嘆反応に見られるような、心理的に大きなストレスと関連して見られるもの。反応性うつ病、神経症性うつ病、抑うつ神経症、少し拡大して状況因、などの表現も用いる。)

の3つに大別された。

仮面うつ病が言われたことがあり、精神症状は目立たず、自律神経症状や疼痛を中心とした身体症状に苦しみ、精神科以外に受診し、身体科の医師は仮面うつ病と診断して、三環係抗うつ薬などを使用した。これは身体因性、内因性、心因性、いずれの場合にも発生した。

【ストレス性心身不調の考え方・感じ方】

ストレス性の心身不調を人々がどのように考え、治療していたかは、地域により時代により異なる。そこでは医学は主要な役割を果たしていない。民間伝承であったり、宗教的な儀式であったり、民間療法的なマッサージの類、食べ物による養生、転地療法、温泉に行く、など、その他さまざまなものが、心身の癒しに用いられてきて、その伝統はまだ続いている。

一時期は神経衰弱と言われる状態が広く受容された。ストレス性の心身衰弱であるが、主にインテリ層がこれに悩んだ。知的であることの証明のようなところもあった。

一時期は国民病として、胃炎、胃潰瘍、胃がんの時代があり、ストレスは胃炎に結びつけられた。ストレスが胃を痛めるということで売薬が売れた。ストレスと胃酸との関係やストレスと胃壁の防御機能との関係が科学的に説明され、それが国民の間に広まった。

自律神経失調症という病名は国際的診断項目の中にはないのだが、国民の意識の中には根を下ろしていて、内科や整形外科で検査しても何もないとなると、自律神経かもしれないから心療内科に行ってみたらいいとアドバイスされる。そのときに、最新の抗うつ薬が最高量まで使われていることもあり、また、何も使われていないこともあり、身体科の医師の意識にも違いがあると思われる。いずれにしても、「自律神経のバランスが崩れている」という呪文を言われると、国民は大いに納得するようである。

仮面うつ病はこの、原因不明の心身不調の文脈の中で扱われた。

【SSRIとDSM-3以降】

新規抗うつ薬SSRIの発売に伴い、製薬会社はうつ病についての啓蒙キャンペーンを展開した。うつはこころの風邪です。アメリカではプロザックが前向きな気持ち促進薬のような扱いで売れた。

日本での新薬の認可はなぜかアメリカの新薬特許期限が切れるころ、つまり、アメリカの10年遅れが恒例になっている。そのころ、DSMの改定が行われ、うつ病の範囲は拡大した。いろいろなものがうつ病と診断されるようになった。旧来のドイツ精神医学や日本精神医学の人々は、臨床診断と治療は、伝統的方法に従い、学会発表や論文を書くときはDSMに従うという二重の診断をしていた。症例を説明すれば内因性とか心因性とかわかるので、それで特に問題はなかった。

メランコリー性格や執着気質と関係づけて、内因性うつ病を理解する従来の日本式診断学と治療学は非常に精巧に完成されたもので、笠原木村のうつ病分類などに結実している。教育の場面で行われたことは、実際の診断と治療は旧来型内因性・心因性の分類で続行し、薬剤効果に関しての統計はDSM、役所の統計はCMIと守備範囲を分けて利用することだった。

医師の診断技術としては、まず、うつ病は統合失調症の後にも起こるものであるから、それを見逃さないように注意する。この Post Psychotic Depressin を見逃していると、つまりは統合失調症の再度の増悪を招いてしまうので、そこは慎重に診断する必要があった。躁うつ病は循環型の経過であるが、統合失調症は長期崩壊型の経過であるから、統合失調症を見逃してはいけないことは当然であり、診断の優先順位も統合失調症だった。(それが今では、うつ病優先で、うつ病を確認したらまずその治療を始めてよいと書いてある。ナシル・ガミー(Nasir Ghaemi)のこの考えはどう考えても、間違っていると思うのだが。どうなんでしょうね。)

いまでいう統合失調感情障害については、まず満田の非定型精神病というカテゴリーがあって、それに分類してよいかどうかが問題となった。

次はうつ病に見えていたとしても、その中に躁病成分や強迫性成分はないか、あるとしてどの程度か確認する。性格分野の用語で言えば、精力性とか強力性、またAnankastisch成分の確認である。心得としては、うつ病は躁うつ病の一部であるから、躁転の可能性は常にあることに注意する。躁うつ混合状態状態やラピッドサイクラーになったら自傷の危険が高まるので一層注意する。

次に、内因性の成分と心因性の成分の見分けだった。内因性うつ病の人も、状況に対して、様々な性格に基づく反応をしたりするものであるから、中には心因性うつ病の成分が混入することがあり、それは病気の経過にしたがって、変化する。特に内因性うつ病が長引いた状況ではいろいろな反応が起こりやすい。そこを見分けてゆくのが専門医としての役目だった。

【自明であったものの喪失】

現在、2023年で周りを見渡してみると、かなり状況が変化している。アメリカでは精神分析の伝統がぷっつりと切れた。精神分析は科学ではないから、医学ではない。そのほかの心理の流派も衰退している。ヨガとか悟りとか座禅とか呼吸法とかと同じ民間療法の扱いである。行動療法はエビデンスありとして生き残っている。そして生物学的精神医学全盛となっている。神経伝達物質とかレセプターの話である。

日本で伝統芸として伝承されてきた病前性格とうつ病類型、その治療法と経過、それらは、何だったのだろう。

今でも私には、うつ病の人の内因性成分と心因性成分の区別が見えるし、一人の患者さんの中でも、時期によって、心因性成分の縮小・増大が見える。そしてその見え方は、先輩医師とは共有できるものだ。犬は犬だし、猫は猫だというくらい、自明だし、医師同士の間で共有できる。しかしそれは集団に共有されている幻なのだろう。

現在のDSM-5方式で診断し、日本でも、また各国でも発行されている治療マニュアルに沿って治療しても、別段特に問題を感じない。日本伝統方式のように細かなことは分からないが、分かる必要があるのかと言われれば、必要ないのかもしれないといったところだ。

何より、患者さんの理解として、日本式伝統診断は難しすぎるだろう。説明も難しい。そこで、平明なSDM-5で診断しましたと説明し、平明な治療マニュアルに従って治療しましたと説明すれば、患者さんは大いに納得するのである。そのあたりは風通しがいい。共通の理解に従って治療が勧められるのはとても良い。これを医療レベルの低下と言ってもいいし、治療の民主化と言ってもいい。知識階級の独占物ではなくなったということだ。患者さんは自分の理解できて共感できる診断と治療を受けたい。

患者さんに、治療後期になって、だんだん神経症的成分(心因成分)が目立ってきましたねなんて説明したら反感を買うし、いいことは一つもない。

【平明なアメリカ流のいいところもある】

そんなわけで、最近では、日本式伝統精神医学は幻だったのかと思うこともある。教育する側も教育される側も、みんなが信じて疑わなかったもの、みんなにいまでもはっきり見えているもの、それは捨てられないけれども、しかし、時代の流れで、アメリカ流で診断治療してもいい、平明な医療がいい、患者さんが納得できるのが何よりだ、たとえて言えば、大学の数学を使うのはやめて、中学の数学で仕事をするようなものだ。円周率は3でいいと考える世界がここにもある。

円周率は3.1415・・・と考えたほうが、事態をより正確に理解できるし、正確に予測できるのであるが、世間は円周率は3で計算すればいい思っているなら、それに抵抗する必要もない。

みんなで幻を見ていた、いまでも幻は見えている、でも、そんな幻はないものとして、世の中の趨勢に合わせる、それも仕事である。