文章を黙読するとき、頭の中で自分の声が聞こえる

どこかで実験したらしいが、いまソースがはっきりしない。

人間は、文章を黙読するとき、頭の中で自分の声が聞こえる人、他人の声が聞こえる人、何の声も聞こえない人がいるとのことだ。

確かに、昔の学校では、国語で文章を朗読することがあった。一部の勉強会では、まず朗読して、それからディスカッションすることもあるようだ。もちろん、読むなんて自分でできることだから時間の無駄と考える人も多いだろうけれど。

文章の朗読がまずあり、次に黙読があり、という具合だと、文章を一度声に変換していてもおかしくない。速読するときは薄い声になるのだろうか。

確かに自分のことを考えてみても、今こうしてキーボード入力しているときに、沈黙しているのだが、頭の中ではかすかに声を出しながら文章を組み立てているような気がする。

黙読に限らず、何かを考えるときには、声に変換され文章が出てきたり、あるいは活字でイメージが出たり、または模式図のように概念が幾何学的シンボルとして操作されたり、そんなことなのかもしれない。

いや、違うかな。思いつくときは、一瞬のような気もする。それを思い出すときに声になったり図になったりしているのかもしれない。山芋を味噌汁でのばすみたいな感じだ。

こうしたことと幻聴の成り立ちが関係しているのかもしれない。人間は視覚情報を処理していることが多いはずなのに、精神病の場合に幻聴が多い理由だろうか。

あるいは、文字以前の古代世界を考えてみると、言葉はすなわち声だったわけだから、声で考える回路が一番古い感じがする。図式で考えるのはそこからさらに一歩真価が必要だったのだろう。精神病の時、新しい上位回路が壊れて、古い回路の働きがが突出してしまう。こうしたジャクソニスム的な状況なのかもしれない。