下書き うつ病勉強会#185 人格の深化とモデルとなる人格

どのように生きるかと考えた場合、人格の変化を主な課題として考えてもよいと思う

富や名声や権力など世俗の価値を求める場合は方法も得られるだろう

そうしたものは多くは相続できる

だから最初から有利な立場の人たちが存在する

しかし人格については一段位相の異なるものと思う

諸宗教や哲学にはそれぞれ、人格の成長や成熟についての考え方が含まれている

人格の向上といえば何となく道徳の教科書と模範作文のようだ

だいたいは内容の薄いものである

人格は一方向に成長するものではない

人格は成熟という言葉がふさわしいように思われるが、何が成熟かについては諸家で一致しない

たとえば論語と老子の違い

仕方がないので人格の変化と呼ぶが、人格の深化というのも味わいがある

人間は本質的には自由意志などはないのであるから、環境に左右されるだけの存在であると言って間違いはない

そのような存在に、本質的に人格の深化も成熟もないだろう

価値判断を交えない、変化ならば妥当だろう

生まれたとして、遺伝子は選べないし、環境も選べない

ただ運命が割り当てた人生を歩むだけなのであるが、人間には不思議なことに自意識があり、自我意識の一貫性などもある

生きるにしたがって、価値観の変化とか、対人接触の変化が生じる

その様子を見て、人格の変化と表現する

遺伝子も環境も与えられたもので我慢するしかない。しかし自分には意志の力もあるように感じられて、自己の人格のありようを考えたりする

まあ、錯覚だと思うのだが、その錯覚が人間を突き動かす

その錯覚ゆえに感動したり自己の運命を決定したりする

私が思うに、人格のありようを左右するのは、遺伝子や環境全般と並んで、自分の将来のモデルになる現実の人格に触れることだと思う

それは書物を通しても、薄く、得られるが、実際の人物に接して、深く、得られる

しばらくすると、なにか事にあたって、判断が必要な時に、その人ならばどう考えるだろうかと思ってみる

そのようにして人格は成長するのではないかと思う

その場合、現実の人生のモデルがあり、そのモデルのようにありたいと強く思うことは本質的に重要なことのように思われる

徳性において優れた人物から影響を受けることを薫陶を受けると言う。こうしたイメージでよいのだが、もう少し強い意味で、具体的な人生の選択場面において、あの人だったらこうするだろう、あの人だったらこうしないだろうと思って、導かれる状態である。

なぜか分からないが、たぶん、脳の仕組みから考えて、生まれて最初に見る動くものを母親だと思うようなものではないだろうか

出生して以後の人生は、母親から学んだことを繰り返すのである

それが動物であるが、人間には自意識があると人間は考えているので、(何度も言って申し訳ないが、それが人間という幻覚的な存在なのだが)、母親から学んだこと以外の行動を選択できる

それは生物の脳の進化にとっては本質的な出来事である

本来、生物は個々の遺伝子が環境に対しての適合性を試す存在でしかない

適合すれば繁殖するし、適合しなければ遺伝子は保存されない

そのように、生物は遺伝子という運命を試すしかない存在であるが、人間の場合は、途中で戦略を変えることができる

それは偉大な進歩だと思う

遺伝子を変えなくても、価値観を変えるとか考え方を変えることによって、環境への適合を試行することができるのだ

その場合は、環境に適合しないからといって死んでしまう必要はない。古い考え方を捨てて、新しい考え方を採用するだけでいいのだ。これは偉大なことだ。

そのように、遺伝子に規定された以外の生き方を選択することの大きな動機は、現実の生き方のモデルに触れることだと思う

最初に見た動くものを母親だと思う脳の仕組みと同じで、成長の途中で、生き方のモデルに現実に接した時、その価値観や考え方や生き方のスタイルが、取り入れられて、いってみれば、新しく生まれるようなことになる

そのようなことは宗教体験で多くみられる。啓示である。それは電撃的なもので逃れられない。そんなことがあるものかと思うだろうが、人間の脳はそのようにできている。そのようにできている脳が生き残りやすかったと言えばいいのだろうか。

また書物に触れることによって得られることもある。だから学問をしたのである、昔の人は。しかしそれは薄い。

学ぶとまねるの関係を考えると、モデルをまねて、学ぶのが人格形成ということだろうと思う

それは親からの遺伝子を生きる人生から部分的にでも決別して、新生することである

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それならば、他の生物と違って人間だけは別の適応戦略を持っているのかといえば、そうともいえるが、そのことも遺伝子に書き込まれていて、それを生きるのが人間の運命なのだと言えば、そうともいえる。それが微妙なところだ。

脳は、遺伝子と対立するようなこともするのだが、そのような脳のふるまいも結局すべては遺伝子が決定しているという構図である。