下書き うつ病勉強会#113 うつ病対策の総合的提言 日本生物学的精神医学会誌 2010

うつ病対策の総合的提言
日本生物学的精神医学会誌
2010

1.うつ病対策の提言
2.うつ病の事実
3.うつ病対策の重要性
4.各論
I.国民への啓発
II.自殺対策とうつ病対策
III.研究
IV.学校教育
V.職域
VI.医療
VII.心理療法・社会的支援
5.参考資料
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うつ病の事実

1)うつ病は,がんに次ぐ社会的損失の原因となっ
ている病気です。
2)生活の障害を来す疾患として最大の原因がうつ
病です。
3)国民の 40 人に 1 人は自殺で亡くなっています。
4)国民の 12 人に 1 人が,現在精神疾患にかかって
います。
5)うつ病になるとがんによる死亡率が高まります
(乳がんの場合 3.5 倍)。
6)うつ病になると糖尿病や心筋梗塞にかかりやす
くなります。
7)ノルウェーの元首相は,在任中うつ病にかかり,
休職後,復帰して,自らのうつ病体験を語りま
した。
8)イギリスにおける国会議員への調査では,議員
の 19 %が精神保健の問題を抱えたことがあると
答えています。
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うつ病は身体疾患を悪化させる
第三に,うつ病は,身体疾患の経過に悪影響を与
える。うつ病では内分泌系,免疫系が変化し,これ
が身体疾患に影響すると考えられる。うつ病は 2 型
糖尿病の発症を約 2 倍前後高め,糖尿病患者の死亡
率も高める。うつ病は,動脈硬化をすすめ,血液凝
集能を高める。うつ病により,冠動脈虚血性疾患の
発症は 1.2 ~ 3.9 倍に高まり,心筋梗塞発症後1年
間の心血管死,心筋梗塞再発などの心血管イベント
のリスクは,抑うつ症状がある患者では 1.4 倍とな
る。うつ病は脳梗塞のリスクも高める。また,乳が
ん患者では,うつ病の合併により,がん死亡率が
3.6 倍となる。
このように,うつ病が身体疾患の発症を高め,予
後に影響することは明らかであり,身体疾患を予防
しその予後を改善する上でも,うつ病の早期診断・
早期治療は重要である。
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うつ病をはじめとする精神疾患患者の多くは十
分な治療を受けていない
第四に,精神疾患をもつ国民が正しい診断を受け
ていなかったり,治療を受けていないという現状が
ある。総合病院の内科外来を受診した患者のうち,
内科医から正しくうつ病と診断を受けることができ
たのは,実際の患者の 19 %に過ぎなかった(WHO
国際共同研究における日本のデータ)。またアメリ
カのデータでは,精神疾患をもつ患者のうち何らか
の医療を受けているのは 20.1 %に過ぎない(New
England Journal of Medicine 352 : 2515-2523,
2005)。日本の疫学調査では,うつ病患者のうち,
受診している者の率は 18.6 %と報告されている
(川上憲人 こころの健康についての疫学調査報告書
2006 年)。こうした未診断・未治療のうつ病は,そ
の後,重症化・慢性化することが多く,労働力の低
下,社会保障費の増大など,膨大な社会経済的損失
を生んでいる(King’s Fund, Paying the Price :
The Cost of Mental Health Care in England to
2026, 2008)。
そうしたなかでも,日本においては精神疾患のた
め医療機関を受診している患者数は,この 30 年間
で 4 倍の 300 万人以上になった(厚生労働省平成
17 年患者調査)。最近の 1999 年から 2005 年のわず
か 6 年間だけで 1.6 倍に増えるという急増で,いま
や国民の 40 人に 1 人が精神疾患のために医療機関
を受診中である。
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精神疾患は「三大疾患」の一つである
以上のようなことから,国民の精神的な健康を増
進することは国家の精神的な富 the mental wealth
of nation であると考え,イギリス政府は精神疾患
をがん,心臓疾患とならぶ三大疾患の一つと位置づ
けてその取り組みを急速に強めている(Nature 455 :
1057-1060, 2008)。
その背景には,国民経済においても精神疾患の比
重が大きいことがある。イングランドについての統
計では,精神疾患の医療・福祉・保健などにコスト
としてかかる費用が年間 225 億ポンド(約 3 兆円強,
表 1 の“サービスコスト”),労働力低下による損失
がそれを上回る年間 261 億ポンド(約 4 兆円,表 1
の“労働収益の損失”),合計で年間 486 億ポンド
(約 8 兆円弱,表 1 の“トータルコスト”)の影響が
国家経済におよんでいるという(人口約 5000 万人
で日本の約 40 %,GDP 約 2.2 兆ドルで日本の約
50 %)。この数字は,20 年後の 2026 年には 884 億
ポンド(約 14 兆円)まで増加すると見込まれてい
る(ヘルスケア・サービスの向上を目的として運営
されている 1897 年設立の独立系非営利財団 King’s
fund が 2008 年に発表した“Paying the Price: The
Cost of Mental Health Care in England to 2026”)。
日本でも,精神疾患のために 1 か月以上休業して
いる国民が約 47 万人おり,それによる逸失利益だ
けでも 9500 億円にのぼるとされている(島悟 平
成 14 ~ 16 年度厚生労働科学研究費補助金「うつ病
を中心としたこころの健康障害をもつ労働者の職場
復帰および職場適応支援方策に関する研究」総合研
究報告書)。また,国立社会保障・人口問題研究所
によれば,日本国内の自殺とうつ病による経済損失
は,年間 2 兆 7 千億円と推計されている(2010 年 9
月報告)。アメリカでは,うつ病による経済損失は
5 兆円におよぶと試算されており,その内訳は生産
性低下 53 %,医療費 28 %,自殺 17 %であった
(Hall & Wise, Psychosomatics 36 : S11-18, 1995)。
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具体的な取組みを考えるう
えでは,世界のベストプラクティスと言えるオース
トラリアの非営利組織 NPO「beyondblue」(ブルー
な気持ちを越えて)(図 6)の活動が参考になる
(http://www.beyondblue.org.au/index.aspx)。
beyondblue は「national depression initiative」と
いう位置づけからわかるように,うつ病の予防と治
療を国全体および地域社会が推進するために有用な
さまざまな援助を提供することを目的として,2000
年に設立された組織である。
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日本におけるうつ病研究の現状
うつ病は,双極性障害(躁うつ病)と並ぶ,主要
な気分障害であり,自殺実態白書 2008 でも,自殺
の最大の要因がうつ病であることが明らかにされて
いる。日本では最近自殺者が毎年 3 万人を超え,先
進国のうち最悪となっている。白書によれば,自殺
者 282 人中,58 %は,精神科での治療を受けてい
たことから,専門的な医療を受けていてもなお,自
殺を完全に予防することは困難なのが現実である。
より速効的で有効性の高い治療法が求められている。
現在,うつ病をはじめとする精神疾患の診療にお
いて,保険適応となっている検査は一つも存在しな
い。また,抗うつ薬は効果発現に 1 ~ 2 週間以上,
うつ病の完治には 3 ヶ月(中央値)かかるうえ,難
治化するケースも多く,その社会経済的負担は大き
い。
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うつ病の亜型
うつ病は,遺伝,養育環境など,さまざまな要素
によるストレスに対する脆弱性を元に,ストレス,
身体因などが加わって発症すると考えられ,さまざ
まな角度からの研究が必要となる。また,単一の疾
患ではなく症候群であり,さまざまな病因による亜
型を含むと考えられる。現在のところ,メランコリ
ー型,非定型,季節型などに区分されている他,血
管性,双極スペクトラム,認知症前駆うつ病など,
さまざまなタイプの存在が推定されており,亜型間
で治療反応性に違いがあると考えられる
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抗うつ薬と電気けいれん療法が,とも
に脳由来神経栄養因子(BDNF)を増加させること
が判明した。これらの抗うつ作用は,BDNF 増加に
よる神経細胞新生促進を介しているのではないか,
という方向での基礎研究が盛んに行われている。
こうした研究では,学習性無力,慢性軽度ストレ
ス,強制水泳など,ストレスなどによるうつ病の動
物モデルに加えて,遺伝要因や養育環境などのスト
レス脆弱性とストレス負荷を組み合わせた動物モデ
ルも検討されている。
これらのうつ病モデル動物を用いて,分子細胞生
物学的な研究も行われ,神経新生の低下や樹状突起
スパインの減少など,神経細胞の形態学的変化がう
つ病と関連している可能性が指摘されている。しか
しながら,こうした動物モデルにより得られた研究
成果が実際のうつ病患者に該当するかどうかについ
ては,不明な点が多い。
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うつ病患者の中には,潜在的な双極性障害患者が
少なからず存在するが,双極性障害には遺伝要因が
関与することがわかっており,その治療は大きく異
なることから,双極性障害の遺伝要因を明らかにす
ることは,うつ病の原因解明の中でも少なからぬ比
重を占める。
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今後,ハイスループットシーケン
サーなどの先端技術を用いて,まれな変異を探索す
る研究により,影響の大きな遺伝子変異が発見され
る可能性が期待されている。
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心身医学的研究
一般科入院患者では,うつ病が高頻度に見られる
ことから,心身医学的研究も重要であり,身体疾患
によるうつ病,あるいはうつ病が身体疾患に与える
影響などの研究が行われている。こうした研究では,
うつ病によりがん患者の QOL が著しく低下し,生
命予後も不良となること,潜在性脳梗塞がうつ病の
リスクを高める一方,うつ病により脳梗塞のリスク
が増加すること,うつ病により心筋梗塞による死亡
率が増加すること,インターフェロンによるうつ病
の予防に抗うつ薬が有効であることなどが明らかに
されている。また,うつ病と糖尿病の合併も多く見
られ,その関係についても研究が進められている。
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ECT は,抗
うつ薬に比してその効果発現が速く,自殺が切迫し
ている場合などにも効果を発揮することから,速い
効果発現のメカニズム解明が期待される。また,迷
走神経刺激,経頭蓋磁気刺激,深部脳刺激などの臨
床試験が行われている。
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うつ病発症の危険因子としては,遺伝的要因の他,
妊娠中に母親が受けたストレス,新生児期から思春
期にいたるまでの心理社会的環境,不飽和脂肪酸を
含む栄養面などの食生活,生活リズム,そして,発
症の誘因となった心理社会的要因および身体的要因
など,さまざまな要因とその相互作用が関与する可
能性が考えられる。こうした要因の影響について科
学的な知見を得るには,比較的短期に結果が得られ
る地域疫学研究に加え,長期のコホート研究が重要
である。特に,遺伝要因と環境要因を区別して検討
するには,多数の双生児を対象としたコホート研究
が有効である。
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しかしながら,例えば遺伝学研究では,BDNF,
セロトニントランスポーターなどの研究に示されて
いるように,我が国と欧米で逆の結果がでることも
しばしばである。また,双極性障害の発症年齢につ
いても,幼稚園児から小学生における発症が多くみ
られるとする米国と,早くても中学生とする我が国
では大きな開きがあるなど,環境因の違いがある可
能性も示唆されている。このように,欧米の研究デ
ータを日本人にそのまま適応することは難しい。
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A)児童・生徒・学生のメンタルヘルス
B)教職員のメンタルヘルス

教職員のメンタルヘルス現状
学校現場では,教員は様々な対人関係を巡るスト
レス状況に曝されている。第 1 に,校内暴力,学校
不適応などの生徒指導上の様々な問題に追われ,心
身ともに疲労した状態に陥りやすいこと。第 2 に,
学校での受験指導面での高度の技量が要求されるこ
と。第 3 には教員は教育活動を行う上で保護者や地
域住民から批判を受けやすいこと,第 4 に公務が適
切に分担されていなかったり,教員相互の協力が十
分でない結果,誠実で責任感の強い教師が多くの仕
事を抱え込みやすいことが指摘されている。

教員に見られる精神疾患として最も多く見られる
のは,うつ病・うつ状態であるとされている。平成
18 年に休職した全国の公立小中高校などの教員は,
全教員の 0.83 %にあたる 7655 人であり,9 年前の
平成 9 年度(1609 人)と比べると約 2.9 倍となって
いる。また,精神疾患で休職した全国の公立小中高
校の教員が,過去最高の 4675 人であり,前年度比
497 名増である。そのうちほとんどがうつ病・うつ
状態であるとされる(図 7)。とても疲れると回答
する教員が 45 %であり,強い疲労を訴える教員は
一般企業の 3 倍以上に及び,児童生徒の訴えを十分
に聞く余裕のない教員は 6 割以上に及び,うつ傾向
は一般企業より平均 2.5 倍も多いとされている。
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抗うつ薬の有効率は,およそ 60 ~ 70 %である。

自殺の心理的剖検研究によると,精神疾患が介在
していてもその約 20 %しか受療していない。
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イギリスの統計によ
るとうつ病に罹患している国民の 3 人に 1 人,不安
障害に罹患している国民の 4 人に 1 人しか,治療に
つながっておらず,未治療者の早期発見・早期治療
が重要な課題となっている。うつ病,不安障害を抱
えながらも薬物療法に対して不安を感じ,治療につ
ながらずにいる人々に対して,薬物療法と同等の効
果があるとされる心理療法を提供する機会を拡充す
ることで,早期治療を促進することが重要と考えら
れている。
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参考資料:うつ病とは何か
■ 概念
「うつ状態」「うつ」は患者の状態像であり,「う
つ状態」を呈する疾患にはさまざまなものがある。
その代表的なものが,「大うつ病」と「双極性障害
(躁うつ病)」である。このように,「うつ状態」ま
たは「躁状態」を呈する疾患群を,「気分障害(あ
るいは感情障害)」と呼ぶ。
うつ状態の中でも,大うつ病や双極性障害の特徴
として見られる本格的なうつ状態が,DSM-IV 診断
基準では「大うつ病エピソード」と呼ばれる。
■ 診断
大うつ病エピソードにおいて,重要な症状は,大
きく分けると抑うつ気分または興味・喜びの喪失と
いう中核症状,食欲低下,睡眠障害,制止,易疲労
性などの身体症状,そして罪責感,思考力低下,希
死念慮などの精神症状である。これらのうち,抑う
つ気分または興味・喜びの喪失という中核症状のど
ちらか一つが大うつ病エピソードの診断に必須であ
る。DSM-IV 診断基準では,必須症状を含め,5 つ
以上の症状が 2 週間以上続いた場合を,大うつ病エ
ピソードと呼ぶ。
軽い抑うつ的な気分は,誰でも経験しうるもので
あるが,誰でも経験しうる抑うつ気分は,このよう
に長期に続くことはなく,症状面でも,気分や意欲
の変化にとどまり,身体的な症状を伴わないことが
ある。大うつ病エピソードは,うつ病を経験したこ
とのない人の想像を超える重症なものである。
現代の日本において,「うつ病」と言えば,ほぼ
DSM-IV による「大うつ病」を指すと考えてよい。
しかし,「大うつ病」は,“重症のうつ状態”を指す
仮の診断分類であって,大うつ病という確固とした
病気(疾患)が存在するわけではない。
精神疾患では,病理学を基盤とした疾患概念は完
成しておらず,確固たる外部妥当性を保証する脳病
変は見出されていないため,病理学的基盤に代わる
基準として,評価者間一致度(診断一致度)が高い
大うつ病という基準を用いている。
■ 疫学
日本における大うつ病の生涯罹患率 7 %,12 ヶ
月有病率 2.9 %と報告されている。大うつ病の発症
率は,女性で約 2 倍と高い。また,社会階層,人種,
時代によって発症率が異なることが示唆されてい
る。近年,うつ病の罹患者が増加していることが複
数の疫学研究によって報告されている。
■ 成因
うつ病は,ストレス,養育環境,遺伝子,身体要
因,性格傾向など,多彩な危険因子の組み合わせに
より発症する疾患と考えられているが,その原因に
は不明な点が多い。