下書き うつ病勉強会#83 うつ病は脳のエネルギー欠乏か

うつ病は脳のエネルギーが欠乏した状態である。とか 
うつ病はこころのエネルギーが足りなくなった結果起こる。などと書かれていることがあります。
脳のエネルギーとは、こころのエネルギーとは、何を指しているのでしょうか。
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生物学的に言えば、脳神経細胞のエネルギーはATPです。細胞の活動に必要なエネルギーの多くはミトコンドリアで生産される。ミトコンドリアはブドウ糖と酸素を水と二酸化炭素に変換する過程で ATP エネルギーを産生する。

神経細胞の ATP エネルギーは主にミトコンドリアという細胞内小器官で行われる酸素呼吸という化学反応で作られます。先天的なミトコンドリアの機能障害は重篤な神経障害を伴い、またアルツハイマー病などの神経変性疾患の一部もミトコンドリアの機能障害が症状の進行に関わることが知られています。神経細胞は複雑に枝分かれした突起をもつため細胞の容積が大きく、細胞内で分子の拡散が起こりにくい特徴をもっています。特に脳の発達過程では突起がどんどん複雑性を増しながら成長していきますが、その過程で必要とされるエネルギーを賄うために多くのエネルギーが必要です。神経細胞の先端部にまでどのようにしてエネルギーを運ぶのかは研究の最先端です。

また、ミトコンドリアは、男の子も女の子も、全て母親からの遺伝です。人類の祖先としてミトコンドリア・イブとかが話題になりました。エネルギーはミトコンドリアが関係していると考えれば、ここらあたりに躁うつ病やうつ病の謎があるのかと思いますが、これだと遺伝形式が特殊なものになるはずです。父親から遺伝しない、母親からだけ遺伝する、それを考えるとミトコンドリア説はもっといろいろな説明が必要と思われます。そして実際にたくさんの説明が行われています。

一部紹介すると、

細胞内カルシウム濃度の変化は、双極性障害の研究において一貫した所見であり、最近の研究ではミトコンドリア機能不全の役割が指摘されており、ミトコンドリアのカルシウム調節異常が病態生理に関与している可能性が指摘されています。ミトコンドリアはカルシウム蓄積の重要なオルガネラであるが、双極性障害における初期のカルシウムシグナル研究では、ミトコンドリアの役割には焦点が当てられていなかった。その後、神経画像や分子遺伝学的研究により、ミトコンドリアDNA(mtDNA)多型・変異によるミトコンドリアカルシウム制御の変化が双極性障害の病態生理に関与している可能性が示唆されました。最近の研究では、ある種のmtDNA多型がミトコンドリアカルシウム濃度を変化させることが示されている。前脳細胞にmtDNAの変異を持つ変異mtDNAポリメラーゼ(Polg)トランスジェニックマウスは、単離したミトコンドリアにおけるカルシウムの取り込み速度が増加する。これにより、ミトコンドリア透過性遷移孔の構成要素であるシクロフィリンDのダウンレギュレーションが介在していることが判明した。また、これらのトランスジェニックマウスの海馬ニューロンでは、アゴニスト刺激によるカルシウム応答が減弱している。mtDNAの多型や変異がミトコンドリアカルシウムの制御に影響を与えるという知見は、ミトコンドリアカルシウムの制御異常が双極性障害の病態生理に関与している可能性があるという考えを支持する。本総説では、双極性障害におけるミトコンドリア・カルシウム・シグナルの役割を解明する研究の歴史と最近の知見をまとめた。

こんな感じで論文が始まります。興味のある方はどうぞ。ミトコンドリアと精神病の関係の論文が一杯です。 https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0143416007001935

リチウムのことを考えれば、カルシウム制御の面から考えるのは、ある意味本道です。
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こうしたあたりが、脳のエネルギー欠乏の具体的な物理現象なのですが、こうした意味でのエネルギー欠乏とは別に、意欲がわかないとか、気力体力がなくて24時間戦えないとか、日常語で言うわけですが、脳のエネルギーがないというのは、多分、こうした現象を指しているのでしょうね。

SSRIではセロトニン濃度を高くするというのですから、セロトニンがエネルギーということになるのでしょうか。まあ、そんなことはないですよね。エネルギーというものはそのようなものではない。しかし元気が出るとか、そのような意味で、エネルギーの元なのだろうか。

それについては、脳の機能を単純化しすぎていると思われます。ドパミンは何、セロトニンは何、ノルアドレナリン、アセチルコリン、GABAなど、それぞれに単純な役割を割り振って書いているのも不思議なことです。脳は回路なんだから回路を考えないといけません。

一方、こころのエネルギーという言い方は、魂のエネルギーとか、霊魂のパワーとか、そんな方面に近いものではないでしょうか。エネルギーと言っても、物理学とは関係のない、別のエネルギーのようです。これらの中では、こころのエネルギーはまだ日常語で使うと思いますが、物事を厳密に考えていないのだろうと思います。心の元気とかやる気ということでしょう。

そこで問題ですが、うつ病でみられる様々な症状の、どのあたりがエネルギー欠乏によるものでしようか。例を挙げて考えてみましょう。DSM-5での診断項目を並べると次のようになります。
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うつ病(大うつ病性障害)の診断基準(DSM-5)
以下のA~Cをすべて満たす必要がある。

A: 以下の症状のうち5つ (またはそれ以上) が同一の2週間に存在し、病前の機能からの変化を起している; これらの症状のうち少なくとも1つは、1 抑うつ気分または 2 興味または喜びの喪失である。 注: 明らかに身体疾患による症状は含まない。

1. その人自身の明言 (例えば、悲しみまたは、空虚感を感じる) か、他者の観察 (例えば、涙を流しているように見える) によって示される、ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分。注: 小児や青年ではいらいらした気分もありうる。

2. ほとんど1日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味、喜びの著しい減退 (その人の言明、または観察によって示される)。

3. 食事療法中ではない著しい体重減少、あるいは体重増加 (例えば、1ヶ月に5%以上の体重変化)、またはほとんど毎日の、食欲の減退または増加。 (注: 小児の場合、期待される体重増加が見られないことも考慮せよ)

4. ほとんど毎日の不眠または睡眠過多。

5. ほとんど毎日の精神運動性の焦燥または制止 (ただ単に落ち着きがないとか、のろくなったという主観的感覚ではなく、他者によって観察可能なもの)。

6. ほとんど毎日の易疲労性、または気力の減退。

7. 無価値観、または過剰あるいは不適切な罪責感 (妄想的であることもある) がほとんど毎日存在(単に自分をとがめる気持ちや、病気になったことに対する罪の意識ではない)。

8. 思考力や集中力の減退、または決断困難がほとんど毎日存在 (その人自身の言明、あるいは他者による観察による)。

9. 死についての反復思考 (死の恐怖だけではない)、特別な計画はない反復的な自殺念慮、自殺企図、または自殺するためのはっきりとした計画。

B: 症状は臨床的に著しい苦痛または社会的・職業的・他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。

C: エピソードが物質や他の医学的状態による精神的な影響が原因とされない。
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1から9と脳のエネルギーはどう関係しているのでしょうか。
まず1の抑うつ気分ですね。皆さんどうでしょうか、エネルギーが足りないというのと、抑うつ気分は一緒ですか?それとも違いますか?
脳のエネルギーが十分にあったとしても、抑うつ気分に支配されることはあるのではないでしょうか。脳のエネルギーがあったほうが、抑うつを忘れやすいとは思いますが、しかし抑うつが消えるわけではないだろうと思います。
この辺りを厳密に考えるには、抑うつの本性と、測定方法、それと脳のエネルギーの関係が明確にならなければ、文学の世界を脱しきれません。

急に抑うつってどう定義されますかとの話になったとして、別段正確に定義できても大して意味がないし、だいたいの話、気分が落ち込んでいるという程度の循環的理解で世の中は回っています。

抑うつっていうのはネガティブなものばかりではなくて、見方によっては純粋でナイーヴで傷つきやすくて自分の内側に進んで行くようです。

たとえば
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも
我が屋戸のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕へかも

これはエネルギーが足りないからではなくて、とても繊細だからです。
もちろん、エネルギーに満ちて体力も気力も十分な場合は、抑うつというよりは異議申し立てとか怒りとか反発とかあるいは深い諦念とか悟りとか、そんな感じになるのかもしれません。この辺りはいずれにしても漠然とした話です。

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2.興味減退、喜びの減少
これはエネルギーがないというのも多少関係するでしょうが、感情がなくなるという事態に近いこともあるのではないでしょうか。
エネルギーがなくなれば、興味もなくなるし、喜びもなくなるというのは分かります。しかしそれは少なくなる、薄くなるという事態です。ここでは感情がなくなる、あるいは、感情と自分の間に何か挟まるという感じに近いこともあるのではないでしょうか。

一か月前まではとても楽しかったゲームが、いまは全然楽しくないし、やりたくないとの話が出たとして、興味や感情が弱くなっているのか、何かにさえぎられているのか、どんな風になっているのか。悲しみの感情も薄くなっているのか。部長さんへの怒りもどうでもよくなっているのか。アンへドニアという用語を使いますが、これは感情が薄まっているどころではなく、感情がなくなってしまった状態を指しています。通常の感覚が薄まって喜びも悲しみも薄いといった状態から、アンへドニアまで、連続なのか、不連続なのかという問題もあります。感情が何かに遮断されるとか、そんな表現もできそうです。
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3.体重減少または増加。食欲減少または増加。
元気がなければ食欲は減少しますが、元気がないから体はできるだけ食べて元気を回復しようとします。こんな風に説明すると、脳のエネルギー減少と食欲の関係はなんともいえないのではないでしょうか。
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4.不眠または睡眠過多。
脳のエネルギーが少ないと増加させたいので睡眠を多くするというのは分かります。また、睡眠をとるのにもエネルギーが必要ですから、エネルギーがなくなれば熟眠できないというのも説明できそうです。結局、どちらともいえるようです。
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5.精神運動性の焦燥または制止。
ここでは精神運動という古い概念が登場しています。Psychomotorのことです。昔は脳の仕組みを力学的に考えていた時期がありました。その名残なのでしょう。
psychomotor retardation 精神運動制止 、てんかんの場合 psychomotor seizure 精神運動発作 、 psychomotor therapy サイコモーター療法 、などに名残があります。
本来の意味は忘れられて、精神症状も運動症状も出る障害を表現したり、精神症状も運動症状も治療するときに使ったりすることもあるようです。

ここで、psychomotor retardation 精神運動制止(精神運動抑制)ですが、これは先輩の先生方はよく使っていました。イメージで言うと、エンジンにブレーキがかかった状態とでも言えばいいのでしょうか。ガソリンもある、エンジンも動く、でも、ブレーキがしっかりかかっていて、前に進まない、そんな感じです。
これは、もともとガソリンがなくて、エンジンがかからなくて、車が前に進まない状態とはかなり違います。進まないという結果は同じですが、前に進めるはずなのにどうしても進まないという、アクセルとブレーキを同時に踏み込んでいる、隠れた緊張感があるかもしれません。
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6.易疲労性、気力の減退。
これが頭のエネルギーの減少ですね。注意が続かない、根気が続かない、なども同様です。注意が続かないのはADHDによるものとは違いますので鑑別します。
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7.無価値観、罪責感。
れは頭のエネルギーとは関係なさそうです。悲観的思考というもので、エンジンよりはハンドルに関係するでしょう。
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8.思考力減退、決断力減退。これは、頭のエネルギーを車のエンジンに例えれば、車のハンドルの問題と言えるかもしれません。ガソリンはたっぷりで車は走っているのですが、次の曲がり角でどうしたらいいか決断ができません。何を選択すればどんな結果になるか、いつまでも考えてしまいます。これは逆に言えば頭のエネルギーがあるからできることです。
洋服や不動産を選んでいるときも、疲れてきたらそろそろ決めようとなるでしょう。それが決められないまま続く。ますます疲れ果てますね。
思考力減退は、大学の数学はできなくて、小学校の算数はできるとか、簡単な問題なら解決できて難しい問題は解決できないというものではなくて、別の考えとの比較ができないとか、多方面にわたる影響を予想できないとか、思考の可能性の数の減少とでも言いますか、そんな感じのもの。エネルギーがないのではなく、柔軟性がないと言ったほうがいいのか。

頭がまとまらなくて何も考えられないというとしたら、その中身としてどのような状況なのか、解きほぐす必要があります。
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9.自殺念慮。
否定的思考の代表のように扱われますが、もちろん、頭のエネルギーはたくさん必要です。考えるのが面倒くさい人には無理。
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上記のような私の考えにも間違いはあるでしょうが、うつ病は脳のエネルギーが足りないのだという考えには全面賛成はできません。電池が切れて脳が動かなくなったから「うつ」なんだよと言われてもね。でも、分かりやすいというなら、それはそれで価値がある。患者さんが納得すればそれでとりあえずいい。

まあ、「充分休んで充電しましょうね」というのは分かりやすいし、深い意味もないので問題ないように思います。私の頭にはスマホの電池みたいなのがあるんだろうかと複雑な区分になるかもしれません。
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なぜ脳の病気の話にエネルギーの話が出てくるかと言えば、フロイトが活躍していた時代、脳科学が進歩したわけですが、その時期は産業革命以後で蒸気エネルギーが絶大な力を発揮し、同時に電気エネルギーとか磁気エネルギーとかが研究されていたころです。また、ニュートン力学以来の力学の勝利が続いていた時代です。
人々は脳の科学を考えるにあたり、水力学モデルをよく使いました。ダムに水が溜まって一気に下流に流れるとか。水樽があなたの脳であるとする、毎日疲れて、中の水はどんどん減ってしまう。それを防ぐには、まず樽の底の穴をふさぐこと。それが休養だ。つぎに、上から水を灌ぐこと、それが睡眠だ。
あるいは、無意識の層が意識の層に出てこないように蓋をしておくのにも力が必要で、それが理由で消耗してしまうとか。
またあるいはフランケンシュタインの話。フランケンシュタイン博士は、怪物に生命を吹き込むために雷のエネルギーを利用します。
今なら、生物と無生物の違いなど特に問題にもなりませんが、当時はとてつもなく大きな謎でした。そんな中で、電気エネルギーで物事を説明するのは当時として先端的でした。

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またフロイトのことで言えば、リビドー説が有名です。これが快感の「エネルギー」ですね。リビドー説に対して文献史的な説明もできないのですが、おおむねで言えば、最初は種の保存と個体の生存の対立の中で扱われ、のちになってタナトス(死の本能)と対立的に扱われたのではないかと思います。

生命進化をたどると、非常に節約して、古いものを再利用したり、新しい利用の仕方を付け加えたりして、既存のものをなるべくというか徹底的に活用しています。下等動物は性的興奮をしているとも思えないくらいでよく分からないのですが、人間の場合は、多分、いろいろな快感が、性の快感と最終的に結合することで機能しているのかもしれません。

うつ病をリビドー低下としてとらえる見方は結構分かりやすいものだろうと思います。

リビドーの本体は何かとか解明される前に仮説が消えてゆきました。

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そんなこともあって、現在でも、一般向けの話をするときには、水力学の話とか、素性の良く分からないエネルギーの話とかになるのでしょう。
現代の脳神経細胞の話とか神経回路網の話などは実に頭の良い発見に満ちています。
相対性理論とか量子力学が100年経過して一般理解としてはこのような様子ですから、いまから100年たっても、たいして違わないのかもしれません。
科学は進歩するが、人間の脳は進歩しないのです。あるいは、脳の新しい部分は進歩するが、古い部分は古いままで残ってしまう。両者は矛盾することもあるが、人間は案外平気で生きている。

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こんな風にいろいろとあるわけですが、脳のエネルギー欠乏論で一番の問題は、日内変動の説明がしにくいことではないでしょうか。

簡単に復習すると、昼に活動中にストレスを感じながら無理をしていると、脳のエネルギーを使い果たす。夜になってリラックスして、熟眠すると、脳が充電されて、朝には頭はすっきりして、意欲も戻っている。

しかし脳のエネルギーの枯渇が進行して、睡眠をとっても回復しなくなると、うつ病になる、というようなものが大雑把な説明です。

さて、一方で、昔からよく知られたうつ病における「日内変動」という特徴があって、朝には一番気分がつらい、しかし夕方から夜になると気分が少し楽になるというものです。うつ病の人の全員にあるものではありませんが、ドイツ精神医学では昔から大切な観察項目として尊重されてきました。特に、ストレスに反応してのうつ病ではなくて、統合失調症や双極性障害のように内因性と考えられるうつ病の場合に見られるとされてきたものです。

しかしエネルギー論だと、朝には一番エネルギーがあって、夜には一番エネルギーが少ないように考えられます。これは矛盾だと思うのですが、どう説明するのでしょうか。

内因性・メランコリー親和型・執着性格のうつ病の場合には、夜の睡眠の時間にそもそも充電ではなく、エネルギーのさらなる消耗が起こっていると考えれば、辻褄は合うでしょう。

日中のエネルギー消費よりも、夜間の睡眠時のエネルギー消費が大きいとすれば、朝に一番不調で、夕方になるにつれて気分が楽になるということになり、これで日内変動の問題は説明できるようにも思います。

しかしどうでしょう、日中の消耗よりも激しい消耗が睡眠中に起こるのでしょうか?でも、それだけを仮定すれば、日内変動は説明ができます。そのような性質の病気なのだといえば、そうなのでしょうが。