下書き うつ病・勉強会#11 躁状態先行仮説-1

下書き うつ病・勉強会#11 躁状態先行仮説-1

今回は躁とうつの関係から症状と病気のメカニズムを考えましょう。この話は、25年くらい前にざっと下書きを作っておいた原稿に手を加えたものです。途中を削ってつなぎ合わせてあるので、話が飛んだり、反復になったりしている感じがして推敲が足りないと思いますが、一応、紹介します。だから下書きです。

一般のイメージとしてうつは、エネルギー低下、しおれている、悲観的、楽しみなし、興味なし、動かないなど。そうはその反対で、エネルギー上昇、元気はつらつ、楽観的、楽しい、何にでも興味がある、動き回るなど。一般的にはそんな感じだと思います。

前に脳に何かの障害があったときの症状は、その場所とその上の階層の機能が失われることによるマイナスの症状、その場所の下の階層の機能の脱抑制によるプラスの症状、さらにそうした状況に対する生体の反応、これら3つの混合したものであることを説明しました。こうした観点から躁状態とうつ状態を見るとどうなるかも気にしていきましょう。

現代精神医学の多数派は、うつ病と躁うつ病は別の病気と考えています。躁うつ混合状態などは別枠として、実際の話、躁うつ病のうつ状態とうつ病のうつ状態とは見分けがつかないけれども、経過全体から、別の疾患だと考えているわけです。経過を参照している。人によっては遺伝歴とか病前性格とか人生行路を参考にする。

躁状態とうつ状態の発生頻度を比較してみると、明らかに、うつ状態のほうが発生頻度が高い。躁病とうつ病を比較してもうつ病のほうが圧倒的に発生頻度が高い。なぜでしょうか。対称的な関係にあるのであれば、半々でいいはずではないでしょうか。

うつ状態と躁状態の定義が問題なのかもしれない。うつ状態は広く定義されていて、躁状態は狭く定義されている可能性があると考えています。

実際の臨床場面では、うつ状態の相談がマニーの相談よりも圧倒的に多いわけです。実は躁状態も結構な数で発生しているかもしれないのですが、マイルドなマニーは本人と周囲はうつ状態ほど困らないので、受診に至らないという傾向はあるかもしれません。

軽躁状態であれば、自分は爽快だし、周囲も妙に上機嫌だと思っておしまいになるのかもしれません。社会機能または社会適応がそれほど低下しません。強い躁状態では華々しい異常がみられて周囲はとても困るのですが、それでも性格の範囲内だと思って周囲に許容されていることもあるでしょう。仕事に熱中しているのであれば、特に害はないでしょう。機能低下している躁状態の場合にはいろいろと困るけれども、高機能の躁状態の場合には、むしろ仕事がはかどり成果が上がります。つまり問題になりにくい。軽躁状態のほうが学校の成績は良いはずです。対人関係でも優位に立つ傾向があるでしょう。

また、躁状態は長くは続かないはずであると考えられます。うつ状態のほうが長く続くでしょう。だから受診数が多くなります。躁状態では神経も筋肉も疲れます。一回の食事には限度がありますし性行為にも限度があります。神経が興奮していても筋肉の興奮がそれについていけないのは当然です。お祭りは長く続きません。

強い躁状態のほうが治療しやすく、いったんは治りやすいですね。繰り返すことが多いですが。症状は激しいけれど、治療する方法はあるわけです。また激しい躁状態の時には家族も素人療法しようと思わないでしょう。専門医にお願いするしかないと早めに判断がつきます。軽躁状態のときは病気とは考えないことが多いと思います。

逆に、うつ状態については、反応性うつならば一般の人も体験しているという事情もあり、うつ病もその延長と考えて、最初は何とかなるだろうと思うことがあり、結果、慢性化してしまい、治療に長期間を要することもある。そうなると見かけの患者数は多くなるでしょう。

うつ状態はストレス反応性のものの延長だという理解が一般にあります。人間は自分の体験の延長として他者を理解します。たとえば犬や猫の行動も擬人化して考えることが多いでしよう。一方で、躁状態については、正常状態の一部の延長とは考えにくいので、医学的治療を要する病気だと判断する。そんな違いもありそうです。

家族血縁の中でうつ状態の人がいると認識していることは多いのに対して、躁状態の人がいると認識していることは多くないと思います。

以上から、うつ状態と躁状態は鏡像のように反対で対称的という一般の考えに反して、事実はそうではないかもしれないわけです。次はここをもっと詳しく考えます。(つづく)