お茶

長い間お茶には多少の関心を持ってきた。日本茶、烏龍茶、紅茶。台湾の凍頂烏龍茶とプーアール茶をブレンドして、熱湯を入れて景徳鎮風の急須で長時間置き、冷蔵庫に入れて一晩、それを次の日に飲むというのが、私の大学院時代の夏の定番だった。
ジャスミン茶は家では美味しく入れられない。中華料理店でさすがの美味しさだったので聞いてみたら、一度に大量に煮出して原液を作り保存する。それをお湯で薄めてちょうどよい具合にして出す、のだそうだ。もちろん、真似したが、うまくは行かなかった。
烏龍茶については、中国の福建省だったかどこか、そのあたりに、お茶の木の先祖があるのだという。それでは、その地域の人達はどんなに素晴らしいお茶を飲んでいるのかと関心を持った。答えは、それは商売の品、私たちは普通の水を飲んでいる、というものだった。なんと素晴らしいことだろう。
多分、感覚が鋭敏な人は、濃茶などには耐えられないのだろう。湯呑いっぱいの中に、茶の分子が一つだけある、それだけで十分なお茶である。
まあ、それは嘘としても、モーツァルトでも、大音量で聴くのではなく、音を小さく小さくして、ほぼ空気圧そのもの程度になったとき、もっとも美しいモーツァルトなのだと私は思っている。空気の音を聴いていると空耳のようにモーツァルトが薄く聞こえる、それがよいモーツァルトである。
それも嘘だけど、紅茶は飲み続けると歯に悪いような気がする。
水が一番いいというわけで、私は最近は水道水を一日飲んでいる。私のたどり着いたスタイルである。刺激の強いものは合わない。