精神療法の技術と人格 安定した鏡

精神療法にも時代によって流行があり、
また、地域によって流派もあり、一体何が本質的治療要素なのかという問題については
いつも暫定的な答えがあるだけである

たとえば皮膚科に行ってヘルペスだとか診断してもらって終わりというのとは違うので、
治療者の人格要素はどうしても影響すると思う
誰に聞いてもらうのかという問題

人格要素にもいろいろあって、優しい聞き役になる人、指導的態度を強く出す人、なんとなくカリスマ的な人、強く断定してくれる人、などいろいろあって、そこは相談者との相性ということになるのだろう。
相談者はたいてい参っているので、強い方針を言ってくれる人についていきやすい。それも、幸か不幸か、分からないところがある。

従来からある一つの理想は、「安定した鏡」であることだろう。
何かをアドバイスすることは、時と場合により、時代と場所により、違うだろう。
アドバイスで治るなら問題ないが、自分を見つめなおすことが必要で、
しかも、見つめなおすには、かなりのエネルギーが必要という場合、
とりあえず、話をしていく中で、自分の姿がはっきりと見えてくるような、
「安定した鏡」になることが、治療者としてできることである。
歪みのない、安定した鏡で、相談者の自己像を相談者が見つめられるように。

人間が生きていて、自分自身の姿を鏡に映して見つめるということはなかなかできないことである。
苦しい場合には、反省や批判や公開などいろいろなものを伴い、そこを解決しないといけない。
結果として、歪んだ、狭い、鏡であることが多い。

顔を映す鏡は多いのに、心を映す鏡は少ない。