あの頃、私に「無価値だ」という刻印を押した人たちが


私がこの病気になって心底感じたことは、
自分の病気が他人に理解されないことでした。
うつ病ならば、失恋した時のひどい感じの何倍かとか、
(このたとえもとても誤解を生みやすいし、本人たちは、そんなものではない、質的に違うのだと言いますが)、
それでもとにかく、例える方法があると思うのです、うつ病の場合。
でも私の場合には、「よくある、あの感じの、延長線上のもの」という説明ができないのです。

私は世間からは理解されず、他人から見ればどうでもよい存在で、
成績が良いわけでもなく、才能があるわけでもなく、一人前の仕事もできない、
そのような仲間はずれの存在で、自分の居場所がどこにもなかった。
世間はかなり残酷な仕方で私を置き去りにして、私の心をすりつぶしました。
無価値だという刻印を押された感じがしました。

それがクリニックに来たら、はいはい、あれですね、
悪化するのはこんな時、こんな時には少し静かにしていて、
毎日の生活ではこんなストレスに気を付けて、
家族とはこんな風に、仕事はできる範囲で少しずつ、
薬は少しだけ用意しておく、お金は、恋愛は、
という感じで、居場所ができて、心に余裕ができました。

そして、もう通院はしなくてもなんとかやっていけるなと思い、相談し、
通院もお薬もやめました。
でも、駅前のクリニックの前を通り過ぎるたびに、今日も開院している、安心安心などと思っていたのでした。

ところがある日、クリニックは消えました。そしてしばらくして、同じビルの同じ階に別のメンタルクリニックの看板がかかっていました。

あの頃、私に「無価値だ」という刻印を押した人たちが、いままた、私の心の居場所を奪ったような気がしました。
あの大切な場所はもう私の心の中にしかない。