教育のジレンマ

高級な教育を実施すれば左翼的思想が広がる。
高級な教育を受けるということは、つまり、知性と倫理の価値を信じるということで、
知性と倫理の価値を信じるということは、つまり、左翼的になるということだ。

この辺りは、言葉の問題もある。右翼、左翼、リベラル、ネオリベラリズム、保守と一言で言っても、Edmund Burkeからその他いろいろ、多種多様である。
そのあたりは泥沼の議論になるので、教育の話だけ。

それでは支配層に都合が悪いので、低級な教育をする。
すると、右翼的思想は広がるものの、
画期的な知的リーダーは現れなくなる。
そうなると、国家としての競争力は低下してしまう。

支配層のとる作戦は、早いうちに国民を選別して、
一部のものだけに高級な教育を授ける。

そしてその人たちが左翼的にならないように、好待遇を用意しておく。
高級な教育を受けて、聡明で志の高い人が、報われず不幸のままでいると、
社会革命に向かう。それではまずいので、社会革命をするよりも、確実でまあまあの幸せを与える。

他の大多数には貧しい教育しか与えず、軍歌を歌わせ、行進の練習を続け、セックスとスポーツとスクリーンに人生を費やし、奴隷であることに甘んじ、しかも、
奴隷の屈辱も感じることなく、住宅ローンと教育費の支払いで一生を終える人生を幸せだと信じ込ませる。

そのような教育の分断がまず考えられる方策である。

日本では戦後の一時期に理想主義的な教育が一時盛んになった。
しかし、学生運動や労働者のストライキを抑制しつつ、教育を変質させ、
現代にいたる。

現代では、教育ローンの問題が議論に上る。
富裕層は子弟を医者にするとしても、財力があればなんとかなる。
一方で、貧困家庭の子弟が医者になることはかなり困難な状況になっている。
富裕層にとっては、それがいいことだ。自分たちの子弟には富裕な生活を保障したい、
また一方で、医学界の発展のためには、優秀な人間を一定数集める必要がある。
そのあたりの選別にも教育ローンはちょうどよい調整弁だと考えているのだろう。