通勤の途中に小さな公園があって、ソメイヨシノ、八重桜、新緑と目を楽しませてもらい、
木々の手入れないかしないし
落ち葉を掃くこともしないので申し訳ないようなものだけれども
ありがたいものだと思っている。
春に新緑、若い柔らかな緑が芽吹き、花が咲き、実を付け、充実した厚い葉っぱが夏の日差しに対抗して日陰を作り、秋には紅葉して心を楽しませ、冬になると葉が落ちて、土に養分を与え、冬の日光を地に届ける。なんと合理的な循環だろう。
見ている私は、木々の春夏秋冬と自分の青春から老年期までを重ね合わせているが、
木々には来年の春もあり、確実にまた若い緑が噴き出し、花が咲き、となるのであるが、
人間である私は、もうそんな季節は体験しない。ただ冬が続くだけである。
昔の人が、木々の営みから連想して、輪廻の世界観を形成したことは自然なことだと思う。
私も輪廻出来たらどんなに良いだろうと思う。