昔から、精神病とは何かといろいろ考える人がいて、様々な論があるのだが、
私見としては、
増悪期に脳神経細胞が損傷を受け、元に戻らず、増悪期を反復するに従い、脳機能の低位が生じるもの。典型的には統合失調症と躁うつ病が含まれる。
というようにまとめられると思う。
増悪期に脳神経細胞が損傷を受けないのは、反応性のうつ状態とか反応性の妄想状態とかがあげられる。それらはすっかり元に戻る。神経症と言っていた時期もある。
一度の深刻な損傷はPTSDで見られ、長期にわたる機能低下をもたらすことがある。
増悪期の症状として典型的なものにふたつあり、気分障害を呈するものを躁うつ病、自我障害を呈するものを統合失調症という。しかしその中間タイプもあり、さらには気分障害や自我障害以外の様々な脳機能障害を呈することがある。
てんかんについては脳波異常という観点からまとめられて、精神科では主に精神症状を伴うてんかんを扱うようになっているのだが、 増悪期に脳神経細胞が損傷を受け、元に戻らず、増悪期を反復するに従い、脳機能の低位が生じる という定義にはぴったり当てはまるので、昔の通り、三大精神病は統合失調症、躁うつ病、てんかんということで正しいと思う。
気分障害の系統は、私のDAM理論で説明できる。また、自我障害の一部については、私の時間遅延理論で説明できる。
昔から言われるのは、現実認識能力が低下し、現実と思い込み・妄想の区別がつかなくなるのが精神病で、その場合、医師は説明はできるが、理解・共感はできない。神経症の場合、その人の置かれた状況をよく聞くと医師は理解・共感できる。などという説明である。
その場合、それを判定する人間が正しいのかどうか、不安定な場合があり、とても受け入れるわけにはいかないだろう。
しかしまた、人の精神は文化に依存する部分も大きいので、その文化で、そのようなことを考えるのはやはり理解・共感が難しいと判定されるなら、それはそれで、大切な観点だと思う。
また、昔から言われるのは、経過による診断であり、こちらが、脳の診断には正しい道であると思う。
しかし、経過による診断は、かなりの経過を見てからでないと診断できないということになるので、治療には不都合である。とりあえず、現在の状態から診断をつけて、治療の方針を立てる必要があるので、現代的な診断学に至っている。
精神病の経過として、初めにどの病気も似たような症状から始まる。それは不眠、食欲不振、意欲低下、悲観的思考、身体的不定愁訴、他者との交流を拒むなどである。Initial Common Pathwayと私は名付けている。病気の経過の中央地点ではそれぞれの病気の中核症状がみられる。自我障害や気分障害である。そして、病気の最終地点では、脳機能の全般的低下を呈し、これは一般に Final Common Pathway と呼ばれる。
気分障害については、私は、本質的には躁うつ病が精神病としての気分障害であると考えている。マラソンを走った後の筋肉痛のように、そう状態の後にうつ状態が始まると考える。
うつ状態とそう状態がセットになると躁うつ病1型、うつ状態と軽そう状態がセットになると躁うつ病2型といわれる。そしてそう状態を伴わないうつ状態の反復をうつ病、うつ状態をともなわないそう状態の反復を躁病と呼ぶ。このような分類の背景には、何にしろ、そう状態で疲れたらそのあとでうつ状態が来る、というのが基本だろうと思う。うつ状態だけを反復するというのは、観察が足りないのであって、何かしら疲れているのだろうと思う。念願かなって引っ越しとか希望していた昇進とかのあとにうつ状態になるのは、このためである。引っ越しうつ病とか昇進うつ病と呼ばれる。そう状態だけを繰り返すように見えても、その中間地点では回復のための期間があり、そのときに環境が良ければ、うつ状態を呈さないだけだろうと思う。
また、統合失調症の場合に、症状が増悪したのちにうつ状態が見られることは多いのであるが、これは統合失調症の増悪期には、そう状態と同じように、脳神経細胞が過活動となり、疲れ切るからだと思う。
戦争から帰ってPTSDになる。また、幼少時の苦しい体験がもとになって、成人してからPTSDを呈する。これらも、症状としては精神病と同じものが観察され、従来精神病と考えられていたものの一部はPTSDとして理解できるのではないかとの説が一時、広く唱えられた。これについてはストレス・脆弱性説で考えることができるだろうと思う。したがって、反応性の症状を精神病と明確に区別することも難しいのだろうと思う。
ストレスと脆弱性の兼ね合いである。
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近年では発達障害についての知見が積み重ねられている。代表はASDとADHDである。
概略を言えば、人間の発達は、10歳くらいまで、個体として、自分の生存のために身体や脳の各部分を環境に適合させて成長し、一応完成する。そのあとは依存の保存のために身体と脳を発達させる。10歳までは生きるため、10歳以降は子供を産み育てるためである。この様子は、二階建ての建物と考えることができる。一階は個体生存のため、それができたら、二階は種の保存のためにある。
精神病は、統合失調症と躁うつ病の両方とも、二階部分の障害だと考えられる。一階部分はしっかりしている。てんかんや発達障害は一階部分の障害だと考えられる。一階部分に問題があると、二階部分は当然いろいろな問題が生じる。でこぼこのある一階部分に、10歳を過ぎたから二階部分を作ろうと思っても、なかなか大変である。
一階部分に問題があるのに、二階部分だけを診断して治療してもうまくいかない。
てんかんは反復するとFianal Common Pathwayに進行するのであるが、発達障害の場合は進行性とは言えないし、反復して増悪期が訪れるものでもない。
また、おとなの発達障害を考えるとき、おとなになって発達障害が発生するのではなく、おとなになって発見されるというべきだろう。こどものうちはストレスが小さいとは言えないが、どうしても大人になるにしがって、結果を求められることが多くなり、おとななんだからしっかり、などとお説教されるだろう。逆に、まだ子供なんだから、待ってみよう、大器晩成だ、などとも言う。
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神経症と精神病は概念的に分離されるものであるが、実際の症例としては、精神病は個人にとってとてつもないストレスであり、そこから発生する神経症成分は大きい。
躁うつ病の人が、神経症的うつを抱え込む場合も多いので、そのあたりの見極めは大切である。その意味でも、うつ状態があるからといって、何病であるとも診断しにくい。うつ状態は疾患の鑑別には役立たない症状である。