教育が間違っているし、選抜が間違っている

「親が子供にゲームなんかしないで勉強しろというのはなぜか」と親に聞いた。
いい大学に入って、いい仕事について、いい人生を送るためだという。

勉強をするのは、勉強が楽しいからではないのか。
勉強は苦しいけど、将来のために我慢する、そんな態度では長続きしない。

勉強ができる人の特徴は、数学ができることである。
そして数学が決め手になって、理系と文系が分かれる。

数学で大きく点差が開くことも事実である。
数学はその子ができるかどうかわかりやすい。出題も採点もしやすい。

結局、数学のできる人は、勉強のできる人で、
将来もある程度の地位に就く。

しかしその場合、大切なのは、
対他配慮であったり、他人の気持ちを穏やかにさせる力であったり、
自分の考えをわかりやすく述べて、納得させ、他人にやる気を出させる力であったり、
なんだと思う。

国会で嘘の答弁をして、書類は改竄・破棄して、部下に自殺者までだし、そのようにして出世し、
それがお勉強のできる人というものなのだろうか。
この、憂慮すべき無力感を停止して、新しい希望に向かう必要がある。

いったいどんな風に選抜すれば、あのようなくずばかり集まるものかとあきれてしまう。

教育が間違っているし、選抜が間違っているのだ。