この時代に神を信じるのはサンタクロースの実在を信じる子供のようなものだとの文章がある。
「神」にも様々な意味があり、グラデーションがある。「信じる」にもグラデーションがある。
なんとも意味の伝達が難しい領域である。
ただ、サンタクロースの実在を信じている子供がいたら、すこし知能の問題を考えたほうがいい。
実際は、子供が、親がサンタは来るかななどと言って気を引いたり、どんなに子供を喜ばすことができるか考えてそわそわしたりする様子を見て、親を気の毒に思い、付き合ってやっているのだという感じだと思う。サンタクロースの虚構をしばらく見抜けないような子供が大人になったら、社会をどのように構成していったらよいのか、たいへん困難がある。社会の構成員は、サンタクロースのお話の全体像くらい、一瞬でわかるよね、という人たちの参加を前提としている。それは根本的な信念や価値観の問題ではなく、単純に知能の問題である。
神を信じるのはサンタクロースの実在を信じる子供のようなものだ、との文章は典型的に、ケン・ウィルバーの言う、プレとトランスの錯誤である。原始状態の神概念と、現代を超えて未来につながる神概念を、同一のものと混同している。サンタクロースの概念は原始状態の思考に属する。つまりプレの概念である。
トランスの領域の神概念を言葉で説明することは困難で、ヴィトゲンシュタインの言うように言語の外側にあるものだ。
トランスの側にいる人にはプレとトランスの違いが分かる。しかしプレの側にいる人にはトランスの人もプレに見えてしまうので、話は行き止まりである。