マルクスもフロイトも大衆宗教的なものである

マルクスもフロイトも大衆宗教的なものであるとの説。
疑似科学的なものといってもよいだろう。
カール・ポバーの言う、反証可能性の論理を含んでいない。いつまでもいいわけができる。
ポバーは、フロイトの精神分析や、マルクス主義の歴史理論、人種主義的な歴史解釈を疑似科学を伴った理論として批判した。

科学哲学におけるポパーの貢献としては以下のようなものが挙げられる。

疑似科学と科学の間の境界の設定を科学哲学の中心課題として認識したこと
科学とは何であるかを考えるうえで、従来の論理実証主義的な立場では、形而上学的でない言説の特徴に、また、命題の意味を検証するための理論に、主眼が置かれていた。しかしポパーは、問題の所在が、意味性にではなく、科学性と非科学性を分け隔てるところの方法性にこそある、と主張した。
反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱したこと
反証されえない理論は科学的ではない、というのがポパーの考えである(cf. 反証主義)。自らを反証する論理を命題が内蔵しないという場合はあるわけで、このような命題に基づく理論とその支持者が自らに対する反定立の存在を無視ないしアドホックに回避するところではその一連の理論体系が実質的に反証不可能となり、そこに大きな危険があるのだとポパーは指摘した(この指摘の立場自体を、ポパー自身は識別しなかったが、ラカトシュは省みて方法論的反証主義と呼んだ)。
蓄積主義的でない科学観を提案したこと
反証主義の背景には、ヒューム的な見解、すなわち、或る理論を肯定する事例はその理論を立証することにはならない、という考え方がある。科学の進歩は、或る理論にたいする肯定的な事例が蓄積してこれを反証不可能たらしめてゆくところで起こるのではなく、否定的な事例が反証した或る理論を別の新しい理論がとって代えるところで起こる、というのがポパーの科学観の背景的な見解としてある。
知識のあり方を進化論的に論じたこと
適者生存の法則に重きを置く進化論の観点から、知識はいかに発展するものであるかを説明した。
確率にまつわる新しい説を打ち出したこと
確率を客観的に説く立場の新しいものとして、「或る事象を特定的にもたらす傾向を内在するシステム」が確率の実体であるとポパーは考えた。

いつでもだれでも正しい手順により実験で正しいことを証明できる。それが自然科学である。
それがなぜ中国で発展しなかったか。たとえば清朝で。
西欧でルネサンスから第一次産業革命に至るまでかなりの長い時間をかけて、教会哲学から自然科学が独立していった。その背景には、ギリシャ、ローマの文化もあったが、ペルシャなど中東で発展していたケミストリーや数学の知識もあった。これらはシルクロードを通じて、中国にももたらされていたと思われるので、それを生かして応用しようとするならばできなかったことではないと思われる。
疑問が提示されたときに、では実験してみようとなるか、昔の偉い人がこう書いていると引用して結論してしまうか、そこが分岐点であったと思われる。中国で発明品は多く、建築技術、羅針盤や花火が有名だし、陶磁器の類も独自に発展させたし、印刷、製紙技術なども発展させた。数学、天文学、伝統医学もあった。

歴史研究者の間で交わされる議論の主題となるのが、中国で科学革命が進展しなかった理由は何か、また中国の技術がヨーロッパの後塵を拝した理由は何かである。文化から政治経済まで各種の仮説が提唱されている。

中国古代思想家の中で科学的と評価されている人もいるけれども、自然科学的という意味での科学的ではなかった。
ここは意見が対立していますね、では実験で決めましょう、という態度がなかなか育たなかった。
西洋もガリレオのころまでは確かにそうだった。
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ポバーの『推測と反駁』(P.64~65)では、「マルクス主義の初期の歴史理論は反証可能な科学であったが、後の追従者は辻褄合わせのための再解釈で反証可能性を無くした理論(疑似科学)に修正した」という趣旨が述べられていて、マルクス自身の理論及び初期のマルクス主義の歴史理論は反証可能な科学であったとしている。

そして現在では反証されて否定されていると思う。しかし発想の仕方は大変参考になるので、新時代の人がまた新しいバージョンで挑戦したら面白いと思う。