研究職の身分。昔は学者はヨーロッパ型で、いったんポストを獲得すれば、あまり努力しなくてもずっとその地位を維持することができた。その良い面としては、腰を据えて遠大な目標を設定し、大きな仕事ができることである。悪い面としては、大して仕事もしないのに俸給をもらえることである。それぞれが各分野の専門家なのであるから、他の分野の人間が意見することも難しい。研究完成はもうすぐだと言い続けていれば、誰にもどうしようもない。堕落した疑似研究者がたくさんいる。
最近はその反省を踏まえて、アメリカ型になり、期間を決めて雇用契約し、その期間内に約束の成果を上げないならば退職してもらうということになる。良い面としては仕事を怠けている人がいなくなることである。悪い面としては、短期間で結果が出る仕事だけを選ぶようになることである。大きなチャレンジはしなくなる。
そもそもヨーロッパ型の研究職は貴族が自分の経済的基盤を持ったうえで好きな研究をするというのが原型だったような気がする。大学や研究機関からの給料などはたいして当てにしていない。しかし理系の実験設備などはやはり国家予算を組んでもらう必要がある場合もあっただろう。
アメリカ型になると、研究予算を獲得できることも手腕の一つとなる。日本の国家予算としては文科省に申請するのだが、文科省の役人が理系の専門分野の最先端の知識があるはずもなく、どのようにして予算配分するかについては、お役人さんも頭が痛いことだろう。人によっては国の予算だけではなく民間予算を獲得したり、日本だけではなく、国際的に予算を求めることがある。もちろん特にアメリカが多い。アメリカの予算を獲得するためには、そのような研究をしないといけないし、人脈も大切だし、ということになって、結局、アメリカで仕事をしたほうがいいという結論になる。