集団内の力学について

集団内の力学について。
例えば、自民党の例がわかりやすいが、いろいろな事情で集団内の力学が働く。

冷戦時代には岸信介など共産主義化を防ぐことが一つの柱としてあったけれども、一方で、経済成長期だったので各種産業は資金もあり、自民党への支持は厚く、それらの票をまとめることで、たとえば田中派は派閥の数を維持していた。
社会主義や共産主義勢力に対する対策として、社会主義的政策や、福祉国家的ビジョンを取り入れることで、資本主義の弊害を是正することが行われた。そのころも勝共連合は街宣車で走っていたが、いろんな人が少数入るものだという程度の認識だったと思う。

自民党内では、右翼よりも中道が優勢だったし、主に支持団体として宗教カルトに頼る必要もなかった。従って、靖国参拝などは主要な争点ではなかった。イデオロギーよりも経済だった。

ソ連が崩壊し、社会党が退潮し、野党は左翼ではなく、中道になった。すると、自民党としては、支持勢力の中心を右翼にシフトせざるを得なかった。宏池会としては居心地の悪いこととなった。宏池会の加藤氏がいろいろな被害にあった。朝日新聞の神戸支社で記者が銃撃されて死亡した。郵政選挙などで旧田中派は勢力をそがれた。地検特捜部は旧田中派を狙い撃ちにした。自民党としては右派宗教勢力が一層大切な支持基盤となった。その結果として、清和会が勢力を伸ばし、主要なポストを占めた。

経済がうまくいかなくて、勇ましいことを言うためにはイデオロギーを語ったほうが便利だった。それがアメリカの要望書にも沿う方針だった。

一方で野党中道勢力はこれまでとは違う新しいことをやろうと意気込んでいたが、うまくいかない部分もあった。なかなか成熟しなかった。何度か政権交代して政権を担当して成熟してゆくのだと思うが、その過渡期にあった。もちろん、自民党右派は野党分断のための対策を繰り広げたし、それが成功した。

自民党内はいったん右翼シフトが確定すると勇ましいほうに引っ張られる。同時に票もお金もたくさんあるほうに引っ張られる。
自民党が下野していた時期、維新や石原慎太郎や安倍晋三が右派の塊を作ろうとして動いていた。結局安倍が自民党内で権力を握ったので、維新はそのままに置かれた。自民党総裁選で石破に党員選挙では負けたものの、国会議員投票で逆転して、総裁になった。この時どのような力学が働いたものか不明である。

ここまでくると、法治主義や立憲主義を無視するような勇ましさを発揮する人たちが出てきて、集団はそういった極端な方向に引っ張られてしまう。最初はおやおやと思っていても、極端な意見に慣れてしまう。極端な意見を言えば集団内での自分の優位を確保できると思う。議論で興奮してくると過激なことを言いがちなものである。

以上は自民党内での見取り図であるが、ほかの集団でも似たようなことはある。最初は異端のような極端な少数意見であったものが、何かのきっかけで主役になってしまう。
ヨーロッパの国々の動向として、EUの方針に従っていたら、ウクライナのこともあり生活は苦しくなる一方だ、自分たちの生活が大事だという論点から右派ポピュリズム政党が伸びるだろうと予測されている。エリートが主導する合理主義的・理想主義的目標はもうたくさんで、本音を言いたいとの気分だろう。
日本でいえば自民党右派と維新の人たちだろう。アメリカではトランプ。

理性の緊張感を失った時、反理性の極端な党派に流れてしまう。それを何度か繰り返しているうちに、いつか来た道だったと気づく。しかしそのときはもう遅い。リセットされてようやく気付く。そこからまた徐々に同じ道をたどる。

水が低きに流れるのと同じで、またエントロピーの法則と同じで、時間がたてば集団は反理性に流れる。極端な感情が集団を支配する。行きつ戻りつはあるとしても、時間がたてば必ずその方向に進む。それが集団内の力学だろう。

大日本帝国の軍部でも、ナチスでも、学生運動でも。