市民と民主主義を考える

市民と民主主義を考える。
どんな人も一人一票として多数決で決めようというのが根本の気持である。これはこれですごいことでいろいろな問題もあるが、まあ、歴史の中で結論された、前提である。
多数決で議員を選出し、議員が政治を行う。間接民主制である。ここでまず議員の構成が民意を正確に反映していない問題がある。ゲリマンダーとか死票とか一票の価値とか。
間接民主主義が技術的な問題で過渡的なものであり、将来は直接民主主義が望ましいのだとする考えもあるだろうが、技術的に実現したとして、その先がそんなに簡単ではない。

政治判断の前提として、判断材料となる情報の開示と、判断力の二つが問題となる。

理想的な市民ならば、完全な情報をもとにして、完全な知性を働かせ、政策を選択することができる。
現実の市民はそうはいかない。そこで、議員は、理想的な移民であれば、どう選ぶかを、市民に代わって選択するという考えもある。ここで議員が間違っていたらとても不幸だ。
現実の市民は具体的なものであるが、理想の市民は実体がない。

情報開示は、専門的な事案になると、みんなが理解することは難しいし、その説明にどの程度のコストをかけるかも問題になる。原発、放射性廃棄物、リニア新幹線、環境問題、また核抑止力のことなど、市民全員によく理解してもらうとなると実際問題として困難がある。分かりやすく説明しようとして嘘を言われるのも困る。分かりやすい説明はたいてい嘘である。

情報提供にあたってはマスコミが活動するが、マスコミの信用度は大変に低い。また国別の報道の自由度ランキングなどが発表されて話題になる。政権の気に入らない人間は排除されることを市民は目の当たりにしてきた。報道を見ているのかコマーシャルを見ているのか分からない部分もある。
いわゆる原子力村などお金のある陣営は大量宣伝できる。

また、事案によっては、全面的情報開示が望ましいかどうかの判断も分かれる。軍事のこととか外交のこととか同盟関係のこととか、ネットセキュリティとか、市民に開示するということは、知られたくない相手にまで開示することになり、国益を損なうとの議論になる。多少損なわれても、全部開示しろという意見にも道理がある。また、そうではないだろう、秘密の部分は必要だとする意見にも道理がある。
全部開示して、市民も敵も、それを正確に知ったほうがいいとの理論は、たとえば核兵器の問題で、相手がどんな核兵器をどの程度、どこに配置しているかを正確に知り、それが信用できれば、核削減に役立てることができるという実例がある。
主権者は国民なのだから全部知らせればいい。秘密にしなければならないものがあると考えるなら、それは考えをもっと深めて熟議しなければならないとする。
これも難しい問題である。相手に秘密にしたいことなのか、国民に秘密にしたいことなのか、権力者を国民は信用できない。

さらに主権者として、判断力が充分にあるかどうかの問題がある。これは一応あるということにしないと民主主義が成立しないので、各人に判断力があることになっているが、実際は怪しい。だから、間接民主主義として、包括的に信用できる人をまず選び、その人に判断を委ねることになる。市民はしばしば間違った人を選ぶ。
そうなると、政治は市民を説得するのではなく、議員と取引して賛成させればいいということになってしまう。

自民党総裁選で党員投票で勝った人が、国会議員投票で逆転されて負けることがあった。これなどは、国会議員は民意とは別の何かの要因で政治判断していることがあるということを示している。
また、沖縄の基地移設問題で、反対の公約を翻して政府案を了承した沖縄県知事が昔いたが、沖縄県民を説得できなくても、沖縄県知事を何かの方法で同意させればよいということもある。
これらのどこが民主主義でどこが民主主義ではないのか、分かりにくい。

国会議員選挙の時しか有権者として意思を示すことができない不満もある。自分の地域の代表に意見を言うことはできるが、一市民の声が届くかどうかは分からない。
そこで日本国憲法は請願権について16条に規定を置いている。
日本国憲法第16条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
この請願権を行使することで、主権者の意思を反映することはできないかと、昔はいろいろ試みがあったらしい。

世論調査で賛成3割、反対6割の事案があったとして、与党の考えの支持が3割の側だとマスコミはこれを賛否拮抗と書いたりする。
民意を反映するにはどうすればよいのかと市民の不満は高まる。しかし選挙がなければ民意は示せない。選挙があっても民意は歪んで反映される。しかしまた、それでこそやっとなんとか折り合いがつくのだという現実もある。

沖縄の基地などは象徴的な問題である。市民としての自己決定は基地はいらないではっきりしている。しかし、基地を存続させたいという勢力がある。米国だという見方もある、しかし米国でも意見は割れていて、グアムに集約したいとの考えもある、日本の官僚のどこかだとする考えもある。
民主主義の場合、国際条約と民主主義の関係はどうなるのか、条約と憲法の関係はどうなるのかなどの問題にもなる。
条約を結んだのは国民であるから何も問題はないだろう、矛盾があるなら投票で決めればよいとの考えもあるだろう。