「人間を信じる」吉野源三郎。岩波現代文庫/社会223、2011。の解説2。加藤節。

「人間を信じる」吉野源三郎。岩波現代文庫/社会223、2011。の解説2。加藤節。加藤は安倍晋三の大学時代の教官。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は1937年、戦時中に偏狭な国粋主義や反動的な思想に抗して刊行された。
本書に所収されている論文で、「善とともに悪を為す人間の両義性」「理念と現実の相互関係」「同時代認識の意味と方法」「日本の左翼運動の観念的なラディカリズムの限界」「政治と倫理」などについて発言がある。
旧約聖書「ヨブ記」に強い影響を受ける。また川上肇を通じて社会問題の存在を自覚させられた。
「人間を愛し人間を尊重する」ヒューマニズムの精神は吉野の思想の全体に脈打っている。

人間とは善を為す可能性と悪を為す可能性を同時に備えている両義的な存在である。
戦争の中で、また敗戦の日本において、人間に対する信頼をくつがえすような多くの実例を見た。
ときには悪魔的なこともやる存在である人間を信頼しきれるか、しきれないかという根源的な問い。
たどり着いたのは、自分が人間を信頼したがっているという事実であった。
人間が自由意志により善を選ぶ可能性に自分は賭ける。善を選択するであろう人間に最後の信頼を寄せる。人間を信じる。
人間が本当に信頼するに値するかどうか、問い詰める。ホロコーストや無差別テロが起こるにもかかわらず、信頼できるか。

ヨブ記に描かれている魂の痛みや苦悩。善人滅びて悪人栄える現実と、その現実を創造した万能の神と、両立するのか。
試練に耐えることにより神への信仰を求めさせる。そこに全能の神の叡智が貫かれている。
人間が生み出す悪と神の義とは予定調和の関係にある。
ヨブの精神の強さに感動した。
ヨブ記に実存の苦悩と人間の意志の力を教えられた。
苦悩に投げ込まれ、それに意志的に耐える人間に、人間らしさを認め、それに無条件の共感を寄せた。

では、何がその苦悩をもたらしたのか、そして、その苦悩を克服する道は何か。
人間の苦悩の宗教的解決ではなく、社会的解決。
苦悩をもたらす社会的現実を変革する。

苦悩は矛盾と倒錯に満ちたこの世の現実に起因する。ここで、この問題を解決することがどう生きてゆくかという問題と一つになる。それが人間のモラルになる。
格差や差別が人間に苦しみを与えているなら、それを解決しようと生きるのが倫理的な生き方である。
同時代の現実に向き合う認識主体に倫理を要求した。

グローバル化する新自由主義が有力となっている。すべての文化に同等の位置を与える文化相対主義の名のもとに人権の侵害が容認されることも少なくない。
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし」。大義に殉じることによって後に大きな成果を残した。背景には十字架上に死んだキリストがいる。(→ここは私は反対。人間はそのようにして言葉のレトリックを使い、心理を操作し、結局権力の横暴を許してしまうものだから。多くの実を結ばなくてもいいから、死んではいけない。しかし、相手に殺されてもいけない。相手を殺してもいけない。困難な問題ではあるが、その解答を見つけなければならない。)
私心なく社会を改善したい。そうした思想家であることに賭けた。人間を信じることに賭けた。

なるほど。
社会の現実を少しでも改善してゆこう。