日本語はSOV。英語はSVO。これを考えて、日本語をSVOで表現したらどうなるのだろう。

日本語はSOV。英語はSVO。これを考えて、日本語をSVOで表現したらどうなるのだろう。
ピジンの考え方で、単語としては日本語でも英語でも中国語でも、そのほかでもよいことにしたらいい。その場合、品詞にもあまりこだわらないでおおらかに考えたらいい。最低限通じればいいとする。前置詞や助詞などはおおざっぱに使う。
文法の点では英語や中国語でSVOなので、日本語もその方向で妥協したらよいのではないか。
ぼく 行った 学校。(学校にとかにはこだわらない。)
食べてください キャロット。
最低限は通じるが、思考には適さない感じがする。

井上ひさしの文章読本で、日本語はSOVなので、動詞の語尾のバリエーションが少ないことが原因となり、書き手として工夫が必要だとのことを書いている。「た」が続いたり「る」が続いたりする。もし、SVOの形にしたら文章の最後の音が多様になるはずだ。

仮名・漢字で書くことをやめてローマ字表記にしたらいいという論者も昔からいる。なるほどと思う面もあるが、日本語の場合、だいたい2文字に1文字は母音になるので、ページ全体に母音が多くなってしまう。そしてaiueoはいずれも上にも飛び出ないし下にも飛び出さないので、印刷した時に平板な印象を与える。だから非常に読みにくくなるし、美しくないとの反対論がある。ローマ字表記論者は単なる慣れの問題だと言っている。
最近はpcで日本語変換するときにローマ字入力をする人が多いので、実質一旦はローマ字表記をしていることになる。それは発音をそのまま正確に文章にしている感じなので言文一致に近くなるのだろう。
スマートフォンの場合の日本語変換はまた違うので、これも脳にどのように負担をかけるのか、かけないのか、面白いところだ。