『生き方の定義』大江健三郎、岩波書店、1985年。

『生き方の定義』大江健三郎、岩波書店、1985年。

・decencyは大江の好きな言葉だと思うが、品格という言葉は最近ではさんざんいろいろな人が使って 、くたびれた言葉だと思う。「人間らしいやさしさ」という日本語を当ててもよいのではないかと書いてある。人間らしいというのがまた定義しにくいものであるが。

・野上彌生子の迷路は岩波のハードカバー単行本で読んだ。懐かしい。五月祭で解剖学教室の展示物の話などが出てくる。

・国家は国家に仕える国民を作る。

・精神の自由と文化の最も繊細なもの。

・ブレイクの新時代とは別に、New Age Science のムーブメントが一時あった。

・ブレイク。錯誤の理性が専横を極めている地上。

・資産としての悲しみ。複眼性。奥行き。翳り。まあ、悲しみはないほうがいいが。しかし、どうせある。その時の考え方を用意しようということ。たとえばヨブ記。不条理な悲しみを、資産としての悲しみにとらえなおす。資産という言葉もなんだかよくない気がするけれども。
悲劇を乗り越えての再生。

・『ソフィーの選択』ウィリアム・スタイロン。いい作品だった。映画もある。原書も家にある。読み始めたら分からないところがあり、翻訳を参考にしたらあまりに素晴らしい翻訳でびっくりした。それで翻訳を読んだ。

・『暗闇に横たわりて』ウィリアム・スタイロン。すこし退屈だった。

・絶対悪の問題。アウシュビッツ。至高善の神の作ったこの世界に、悪、悲しみ、が存在するのはなぜか。

・『この静まりかえった塵』ウィリアム・スタイロン。This Quiet Dust というタイトル。原書が家にある。
「黄金の杯はまさに壊れたが、しかしそれは黄金であったのだ。」この一節はフィッツジェラルドのもので、スタイロンがフィッツジェラルドを論評する際に引用していたもの。This Quiet Dust の最初のページに書いてある。

・人間的なものへの深い信頼。確かに、これが大事。

・環境問題や核問題では帰還不能点(Point of no return)の問題があるのかもしれない。

・ジョージ・ケナン。文化は継承したものであるから子孫に渡さなければならない、人類が絶滅してはならないというのは、実に自然な考え方である。

・教育される能力、教育する能力。教育される能力といわれると、教育される方はつらい。

・戦闘的なユマニスム。でも、戦闘的にならないほうがいいな。

・人間は滅ぶものだ。そうかもしれない。だが、抵抗しながら滅びようではないか。そして、たとえ我々の落ち着く先が虚無であるとしても、それが正しいことにならないようにしようではないか。

・一線を超える。まだ少し余裕があるかなと思っているうちに一線を越えていたということがあるものだ。歴史は教えている。そしてもう引き返せない地点に立っていると気づく。Point of no return.