「バークリー・コールと私とは、私ら仲間うちの言葉で立派なこと(respectability)と品格の良さ(decency)とをはっきり区別し、私らの知っている者たちを、人間であれ動物であれ、この原理にしたがって区分けしていた。私らは家畜を立派なこと(respectability)に、野生の動物を品格の良さ(decency)ととらえた。そして前者の存在と特権は、かれらの共同生活との関係によって決定されるけれども、後者は神との直接の接触にうちに立っている、と考えていた。」(アイザック・ディネーセン)
この違いは、キリスト教で例えれば、教会に通っていい子でいる人は立派なこと(respectability)だと思うし、神と直接につながる形での信仰を持っている人は品格の良さ(decency)に近いのだろう。世間的には、圧倒的に、教会に通っていい子でいる人・立派なこと(respectability)に価値があるだろう。神と直接につながる形での信仰を持っている人・品格の良さ(decency)は、たとえば死後の伝説の形でのみ価値があるのだろう。本人の生存中にいいことがありそうではない。
このことは典型的にはドストエフスキーのカラマーゾフに描かれている。世俗の教会が信者に求めることは立派なこと(respectability)である。