戦争を防ぎ平和を守るためにもう一度根本から考えてはどうか

日本人は自分の勝手な解釈をしてはいけない、バッハやモーツァルトをまずよく勉強しないといけない。なかなか高い壁である。

音楽のリズム感は、言語とダンスに関係しているのではないかという意見。
これは再掲であるが、キリスト教信仰がなければ西洋音楽の理解は難しいのかという問題。
自分を消して隣の人に合わせることにばかり関心がある。それがよい音楽だと思っている。

どれも、西洋文化を日本人がどのように受容するかの問題の具体例と考えられるが、まあ、音楽ならば、これが日本だと、眉毛を釣り上げて目を見開いて歌っている人たちを表彰してもよいだろうが、政治や戦争となれば、そのいわゆる独自性を誇ってもいられない。昭和の戦争でも、独自の文化だ、万葉集だといって進軍ラッパに踊らされているうちに、総無責任体制がむき出しになった。

一方で、フランスの右派であるルペンのインタビューなどを見ると、さすがにルソーとかフランス革命とか、いろいろな歴史の総和としての現在があるのだと思わせられる部分もある。共和国の一員であるということは、共和国の思想を理解して共有してほしいと移民や異教徒に要求している。それはアメリカ合衆国とはやや異なった民主主義だと思う。ルペンの右派の思想はいろいろな批判もあるが、共和国の思想なんていうのは、筋が通っていて知性がある。深い思想があるのだ。

個人の尊厳、そこから発する平等の原則、さらにそこから発する民社主義の原則、そして戦争か平和かの選択の問題に及ぶ、これがひとつながりのものとなって、結果として軍備増強に走り、国を守るためなら国民が死んでもいいとの結論に、現在の日本がなってしまうなら、もう一度、個人の人権の尊厳から、考え直す必要があるだろう。その結論が現在の日本独自の思考回路だと言われたら、そのように他人に押し付けるのはファシズムだと思われる。

思想もなくただ単に投票のまねごとをしてそれで民主主義でごさいますなんて言っているなら西洋にもアメリカにも顔をしかめられるだろう。自覚がないから困ったものだ。

(アメリカはアメリカでひどい。昔からひどいだろうが、もうあからさまにひどさが表面化している。隠そうともしないレベルだ。でも自覚はしているようである。)

自覚がない方が病は深い。