体験数×体験の感情強度=一定

年を取ると、今年の桜も今年の紅葉も、さして感慨もなく眺めている。

人間の脳の記憶容量には限界がある。長生きをしていろいろ経験すれば、一つ一つの体験の印象は薄くなると思う。

コンピュータと違い、人間の脳は記憶領域を空白にしておくこともできず、手持ちの記憶でとりあえず埋めるのではないか。そして日々整理しながら、重要でないものは消してゆくのではないか。

するとこんな考えも出てくる。

記憶している経験の個数×それぞれの感情の大きさ=一定

一定であるのは、脳の記憶容量に限界があるから。

つまり、個数が少ないと強い、個数が多くなると、一つ一つは小さくなる。そんな仕組みで、全体の記憶量としては一定になる。

これはまあまあそういうものではないだろうか。生涯で初めてのことは強い感情を伴う。何回も経験すれば感情は薄くなってゆく。

子供は成長につれて体験を増やしていくが、そのそれぞれはだんだん薄い感情になる。

また成長すれば頭の中に整理箱ができて、新しい経験をしても、格納する場所が分かるのであまり動揺しない。

小さなころは、出会った経験を脳の中のどの場所にどのようなものとして整理すればよいのか、よくわからないので不安や混乱を伴う。

年を取ってからの経験は、それ自体で独立して存在するのではなく、過去の経験のあれあれと比較したり関係づけたりして、整理しやすくなる分だけ、感動は薄くなるが、一方で、過去の経験と総合されて感覚されるので、深みのある感情になる。

例えば、赤ん坊がはじめて母親と出会うとき、世界の経験はほぼそれだけで、感情の強度としては100/100と言えるのではないか。

この状態が1個×100/100=1 と表現できるだろう。

経験が100個になれば、経験の感情強度はだいたい1/00程度になる。100×1/100=1 となるだろう。勿論、個々の体験の強度は様々に分布するだろう。グラフを描いて、その積分【つまり面積】が一定ということになる。

なぜ一定かといえば、脳の記憶容量には限界があるからである。

以上のことを前提として言えば、幼くして死んだ子供はかわいそうで、長寿を全うして死んだ人は幸いであるともいえないことになる。

幼くして死んだ子供も、体験数×体験の感情強度=1 で大人と同じだからである。

数が少ない分だけ、一つ一つの感情が強い。

年を取ると経験の数は多くなるが、傾向として、一つ一つの感情は薄くなる。

文章を書いたり芸術表現をしたりする人は感動が原点になることもあり、職業的な必要から常に感動している必要がある。これはまったく無理な話だし、脳の機能として不安定になる。

このような観点から見れば子供もお年寄りも同じである。

時間が経過すると個数が多くなり、その代わり一つ一つの濃度は薄くなり、掛け算をすれば(正確には積分をすれば)一定である、という具体的な比喩を考えてみたが今は思いつかない。

病気の観点でいえば、一つ一つの経験に感情の重さをつけて、記憶に格納するとき、感情の重さを間違えたまま収納してしまうことがある。電車に乗ることに強い不安を結び付けて学習してしまうと、電車恐怖になる。治療のためにはこの学習を解除して、電車に乗ることに別の感情を結び付けてやる必要がある。

人間や哺乳類などには、刷り込みといったような、強い学習や人生で一回限りの学習がある。たとえば生まれて初めて見る生き物を母親だと思うことなどである。そのような強い学習が電車と恐怖を結び付けているならば、その強い学習回路を訂正しなければならない。

一回限りの学習は人生の初期に発生して、それ以後は発生しないことが多い。例外として性的成熟に伴うことは思春期になって起こる。

訂正するためには、その強い学習当時に働いていた脳の階層部分を、操作可能な状態にする必要がある。

退行といわれるものは、その人の脳の発展段階を一旦逆戻りして、昔の脳の働きを現前させることである。退行状態でなら強い学習の解除と再設定がしやすいと思われるが、それにはまた別の危険も伴うので、簡単ではない。催眠などは昔の技法であり、危険でもあり、倫理的問題もあることから

現在は使われない。薬剤で調整する方法もあるが、これも危険があり、現在は推奨されない。

いろいろ寄り道をしたが、脳の記憶容量には限界があるから、記憶することが可能な体験数と感情強度の関数を積分したものは一定である。

子供は強い感情体験を少数持っていて、お年寄りは多くの薄い感情体験を持っていることになる。

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たとえとして、マーブルペーパーがある。

たらいに水を張って、そこに油性のインクをこぼす。インクはたらいの水の表面にスーッと広がる。次に違う色のインクをたらせば、前のインクと半分ずつになる。3つ目を一滴たらせば表面の1/3ずつを占めるようになる。インクを2滴か3滴たらせば、その分、表面積は広くなる。それが体験の感情強度にあたる。

体験個数が増えたとしても、たらいの水の表面積は同じである。