将棋王将戦羽生藤井

プロ棋士の藤井は強い。他の棋士よりも精密に先まで読んでいると思われる。終盤の寄せは格段に強い。今回の羽生との王将戦で強さが理解できたような気がする。現在第5局が終わったところで羽生2勝、藤井3勝、いずれも先手勝利。中継を見ていても羽生と藤井が何を悩んでいるのか分からないが、終わった後での解説動画がいくつも出ていて、それを見ると、それぞれの局面でどのような指し手があって、何を考えていたかが分かる。それによると、20手先まで読むと、実はこれは詰んでいるとか、これはこういう狙いのある手で、それを防ぐためにここに何を打ったとか、実に驚く明快さである。かなり先まで実際に読んでいて、結論を出していることが分かる。ひらめきとかではなく現実に手筋を読み切っている。天才というよりも職人という感じがする。

藤井はもともと終盤の寄せには抜群に強かった。詰将棋では素晴らしい才能を見せていたという。そしてAI将棋で勉強して序盤から中盤の戦略に強くなった。現在はほとんどミスがなく、別室でAIが提示する最善手をほぼそのまま間違わずに指していける。

つまり、AIで学習した成果が、藤井なんだろうと思っていた。

だからイメージとしては、アメリカを体験した人がそれを日本の近未来と見て、利益を得るのと似ていると思っていた。30年くらい前、アメリカ人が四国の水をペットボトルに入れて売る商売をしたいと言っていた。アメリカでは売れているから、日本でも何年かすればそうなるというのだ。たしかにHDDビデオなどはその通りになった。でも日本の水道は質がいいと言われているし、東京の水道も、場所によって水道管の経年劣化はあると思うが、水質そのものは悪くないと言われていた。アメリカではオイルシェール採掘で地盤が変動し水道の質が悪い地域がある。何でもアメリカでの新しいトレンドが時間遅れで日本に来ると単純に考えるのは安易すぎると思っていたのだが、結局、日本でもペットボトルの水を飲むようになった。タイムマシンで未来を体験して、そのあとで現在に帰って商売するような感じだなと思った。

将棋の場合はAI登場で棋士とAIの関係が日本とアメリカの関係のようで、AIを相手に学習しておけば当然強くなるだろうと思っていた。しかし藤井の強さはそれだけではないようだ。AIからの学習も強さを補強しているが、それ以上に本質的に強い。まあ、強さの実質は、すべの可能性について、なるべく先まで読むことに尽きるのだろうけれども。よく知らないが定石がいろいろあって、その部分は考えるまでもなく、読みを省略してよいことになっていたが、最近では昔からある定石は間違いもあるとAIが教えてくれているので、やはり省略しないで可能な手を全部読む必要が生じる。それがあるので手抜きができない。几帳面に全部考えると、処理速度が一番の決定要因になる。

論理だけではない右脳の機能がどうとか、ひらめきがどうとか、ひらめいたとしてもそれを検証する必要があるので、いちいち先読みしないといけない。要するにまんべんなく可能性を探るしかない。

AIが情勢分析をして、どちらが何点優位とか数字を出す。何が優位か判断する基準は最終的に勝つことにどれだけ近いかなのだから、結局、できるだけ先読みしないと優勢も劣勢も判断できない。

藤井対策として、藤井はお互いに最善手を指すものと想定して先読みしているはずだから、相手が最善手とか次善手以外の手を指した時は、また新しく時間をかけて読みなおさなければならないことを利用する。悪手ではないが最善者や次善手で藤井に先読みされている手以外の手をときどき指してゆけば、藤井の読みの負担は大きくなり、ミスも誘発できるのではないかという話があった。しかし藤井はそんな場面でも高速に読み切ってしまう。結局こちらも最善手でノーミスで応じるしかない。応酬しているうちに相手がミスをして藤井が勝つ。お互いに最善手でノーミスで進行すると先手が勝つ。藤井クラスの脳になると9*9では狭すぎるのではないか、18*18くらいに広げて駒数も倍くらいに多くするのも一つの方法ではないだろうか。藤井にとって将棋は簡単すぎる。

しかし、藤井の次の世代はまた更に大きな変化の可能性を秘めている。さらに強くなるだろう。問題は才能のある若者が将棋の世界に興味を示すかどうかだと思う。客寄せパンダになってマスコミ露出するのが仕事だと割り切る棋士も出てくるだろう。

女流棋士は現状ではあまり強くないらしいけれども、数学や物理の世界で女性は素晴らしい活躍をしているので、そのうち女性棋士も強くなるだろう。数学や物理は人数としてみるとまだまだ男性優位であるが、女性が実際に活躍している。

将棋はルールが変化しない点も面白い。大学の入学試験は時代によって難易度も質も変化があるのではないか。数学物理の試験レベルはいくらでも難しくできるだろうが、他の教科との兼ね合いもあるので、平均点や標準偏差が適切でなければならない。難しくしてしまうとみんなができなくなるので、特別な10人だけが数学物理で合格することもありうるし、逆に、それ以外の人たちでは数学物理で差がつかず、それら以外の科目で合否が決まってしまうこともあるかもしれない。簡単にするとまた点数差がつきにくくなる。適切な点数差が出るように苦心するとしても、最近の試験結果の平均点とか標準偏差とかを気にすると、最近の学力レベルに合わせるしかなくなる。そうなると学生は準備して効果が上がる項目に時間を費やすようになる。それによって本質的に測定したい学力は停滞することになる。才能を発掘するのは難しい。

また、発掘されたとしてその人が幸せになるかどうかは別の問題だ。たとえばピアノの天才が、ピアノは趣味でいい、自分は父親と同じ医師になりたいと考えたとしたらそれもいい。たまたま自分の手にしている才能から利益をあまりなく引き出して、しゃぶりつくそうなどは凡人の考えることだ。

才能を開花させることが自分の生きる道ではない、医療で奉仕したいと考えるとしたら、それもいいことだ。