経過と現在症状の項目で追加して、単一精神病論の一種を書いておく。
Einheit Psychose と呼んでいるが、私が共感できる単一精神病論の概略は次のようである。
精神の病にいろいろな種類があることは勿論であり、症状で分類することもできるだろうし、経過を重視して分類することもできるだろう。
しかし経験として言えるのは、最初は似ていて、途中でそれぞれに特徴的な病像を呈し、最後はまた共通の結末に至るというものである。
精神の変調は、不眠や不安で始まることが多い。面接室で何かを相談するときは既に病気の各々の特徴が出てきたころの話だと思う。そうではなくて、一番最初の変調は何かと、微細に観察すれば、どの病気でも、不眠や不安があるのではないかと思われる。
これを Initial Common Pathway 開始期共通経路と名付ける。
その時期が過ぎると、知性の領域とか、感情の領域とか、特有の個別の症状を呈する。
さらにその時期を過ぎると、認知症の病像を呈する。これを Final Common Pathway 最終共通経路と名付ける。
たしかに、最終的には認知症の像を呈するようにも思われる。しかしそれは、回復した人は退院しているので、観察していないだけかもしれない。退院できないで入院治療している人は回復しないので、結果として認知症の像を呈しているのかもしれない。
また、Final Common Pathway 最終共通経路に至る前に、精神病を有しながら、心臓病や糖尿病、さらには悪性腫瘍などで死にいたる人は、精神病としての最後の姿を見せないで消えているのかもしれない。
クレペリンが、躁うつ病について、増悪期はあるものの中間期には完全に正常に復すると観察したのは、確かに正しいだろう。しかし中には感情領域の症状で、徐々にレベルダウンしするものがあると思われる。割合がどの程度かははっきりしない。
このような観点でまとめてみると、単一精神病説の単純な一つのタイプは、最初は不眠や不安で始まり、中間の症状は様々であり、最後は認知症の像を呈するもの、となる。
中間症状がさまざまであるのは、病理と場所の問題で、病気の本質が何であるかは分かっていないが、脳のどの場所で生じるかによって、症状は決まってくるからだと考えられる。
したがって、中間症状で区別して名前を付けるのはあまりよい考えではないと思われる。
この考えだと、統合失調症の大半を含み、躁うつ病の一部を含むものである。つまり、経過だけを取り出して純粋化した診断である。
これはこれで、病気の原因、症状、経過、予後がまとまった形で統一的に考えられる。あとは原因が分かればよいのだが、なぜかまだ不明である。
難点は、現在の症状から経過を予想することができないことである。実際の診察室では役に立たないことになる。
先輩の先生に、30年くらいたてばこうなると言われても、何に着目してそのように判断しているのかはっきりしなかった。
今から思えば、猫は猫だし犬は犬なので、あのタイプの人は30年後にはどうなるか、と説明するのは、犬なんだからワンと鳴くだろうという程度のことだったのだろう。
しかしこれが現実だとまず承知して、そのうえで現在考えられるベストの処置を考えるのも大切なことである。
また、少し違う説ではあるが、内因性ならば慢性崩壊性の経過を取るのであって、正常に復するということは内因性ではなく反応性であった証拠であると考えるのも、整合性がある。