どうやら目に映る景色は同じでも、頭ではまったく違うものに変換されてるらしい。
「人は言語を抜きに世界を眺めることができない」とワタナベアニさんが言っていた。
たとえば海に行って写真を撮るとします。砂浜に立ち、水平線にカメラを向け、シャッターを切る。そのたった数秒の間に、気づかないだけで言葉は数十も数百も脳の中をものすごい速度で駆け巡っています。なぜ言葉が飛び交うのか。それは「名詞の集まりで認識されたモノが世界だから」です。
コニー・アイランド、カモメ、ホットドッグ売り、黄色いフラッグ、夏の終わり、サンオイルの香り、風、裸足の女性、伝えられなかった言葉。
そういった文字の羅列から脳を完全に切り離して無心に世界を見ることは不可能です。海の写真を1枚撮るだけでもそれだけの言葉がとおりすぎたあとでシャッターを切っているのです。
ちなみに、言葉を羅列した最後に、「伝えられなかった言葉」と言っておくと、妙にカッコよく聞こえてモテる場合があるので、試してみてください。
ワタナベアニ『ロバート・ツルッパゲとの対話』pp. 59-60
人が眺める世界は言葉でできていて、その言葉の一つ一つは人それぞれ違うから、見えてる世界も違う。
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という文章を見つけて、美しいものだと思った。
言葉の網の目の細かさが、その人にとっての世界の解像度なんです。