下書き うつ病勉強会#130 神経症性うつ病と反応性うつ病の対比 病前性格

論文の最初に簡略なまとめが記されていて、その中に神経症性うつ病と反応性うつ病の違いが書かれていたので採録した。

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抑うつ(depression)は、気分・感情の落ち込みをいう。ICD—10では感情障害(affective disorder)、DSM—5では気分障害(mood disorders)の用語が用いられている。

歴史的にドイツ精神医学では、「うつ病」は内因性うつ病(endogenous depression)、神経症性うつ病(neurotic depression)、反応性うつ病(reactive depression)との3種類が区別されていた。

内因性うつ病は、外的要因なしに体内要因によりひとりでに発症する「内因性」うつ病であり、定型的な悲哀感情・メランコリーを特徴とする重症の抑うつ症状が、その人ごとの周期性を持って繰り返して発症する。

これに対して神経症性うつ病は、もともと神経症素因を有する者が、ストレスにさらされたときに、神経症的素地(内因)と心理的ストレス(外因)とがあいまって抑うつ症状を呈するものをいう。神経症的素因のために心理的要因が取り去られた後も一定期間の抑うつ症状が持続する。

反応性うつ病は、過大なストレスに遭遇した場合には誰にでも起こりうる反応であり、抑うつ症状はストレスがなくなると消退する。

このような区分は、うつ病の発症要因を理解するために役立つものであり、さらにはその対応法を決定する上でも有用であった。基本的には、内因性うつ病には抗うつ薬の投与を、神経症性うつ病には精神療法を、反応性うつ病には心理ストレスの除去のための生活環境の変化をというメッセージは、実際の治療場面にあたっても役立つ指針であった。

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以上が引用である。割り切った分かりやすさがある。

内因性は遺伝子から発するもの。しかし精密に言えば、過去の環境因からの影響が脳、脳神経回路、神経細胞、エピジェネティクスに蓄積されて、時期が来てひとりでに発生するものも含む。

反応性は環境因性または状況因性ともいえるもので、感覚器から脳に、そして神経回路に影響が伝わるものである。

反応性と心因性と神経症性については、大まかに言えば、いずれも外部要因と言えるのだが、細かく言えば、環境・状況と脳神経回路の相互作用によるものなので、脳神経回路の要因も考えなくてはいけない。概略で言えば、環境・状況がほぼ100%で原因となっているものとして、PTSDや急性ストレス反応がある。しかしそれが100%かといえばそうでもないようで、例えば、戦争で仲間が悲惨な死を遂げて、自分も死ぬ寸前だったという例であっても、体験したその後の状態には個人差があり、むしろPTSDを発症しないのが不思議なくらいの場合もあって、簡単には環境因・状況因100%とは言えない。

環境因・状況因が少し弱いものであっても、それを受け止める脳神経回路の状態によっては、抑うつ状態となる場合があり、それはストレス脆弱性モデルで説明される。

ここで神経症性うつ病が神経症的素地(内因)と心理的ストレス(外因)とがあいまって抑うつ症状を呈するものとされているのは、心理的ストレスが100%ではないということであって、それならば、心理的ストレスが原因の100%であることなどあるものなのだろうかと疑問が生じる。

非常に強い環境因・状況因があって、複数人がそれを経験した場合にも、発病する人と発病しない人がいるならば、発病しない人が健常で、発病する人が脆弱だとも言えないだろうと思う。その場合、発病しない人は偶然に逞しかったというだけのような気がする。このあたりは客観的に判定するのは容易ではない。

しかし神経症的素地があるだろうことも確かであって、それは遺伝子と経験から形成された、時間の産物=脳神経回路である。日常の言葉で言えば性格傾向に近いだろうと思うが、行動傾向や感情傾向という言葉を加えてもよいだろう。

神経症的素地を内因としているが、それは少し違うだろうと思う。神経症という言葉の歴史としては、フロイト的な発想が関係しているのだから、心因の中でも無意識の関係する病態としてとらえるのがよいと思う。

しかし無意識の関与については客観的に証明することもできないので、自然科学的探究にはなじまない。方法論の探求が必要だろう。

神経症性 neurotic という言葉は、精神分析的背景を別にしても、性格的に複雑な状態を表現している。つまり、弱い刺激でも、特有の反応を呈しやすい。それを表現する言葉として、反応性でもいいのだが、脳神経回路にも原因があると表明する意味で神経症性という言葉がふさわしいだろう。

反応性、心因性、神経症性と並べてみると、多少の違いが感じられ、どの程度脳神経回路の責任があるかが考えられるのだが、いずれにしても、実証できるものでもない。神経症性と表現されると、無意識の病理または脳神経回路にも責任がある場合と感じられる。反応性と心因性は、反応性のほうが、環境・状況100%のような感じがする。心因性と表現されると、脳神経回路のある程度の不安定さを感じさせる。

いずれにしても、感覚器を通じて、外部からの刺激が伝えられて、反応が起こる。向きとして、環境・状況側から脳神経回路側にということで、まとめて、反応性・心因性・神経症性と表現していいのではないかと思う。これをExogenous Depressionと表現する場合もある。外因性とか外来性とかの日本語になる。

逆に、内因性の場合に、環境因・状況因がゼロかと言えば、そうでもないような気がする。内因性の要素が働いて脳神経回路が形成されて、そこに環境因・状況因が伝えられて、反応が起こることには変わりがない。

環境因・状況因がゼロと認定することも困難だろう。生きていればそれなりに何かのストレスはあるだろう。そうするとここでも100%の責任ではないことになる。

あれこれ考えていると、これはうつ病Aとかうつ病Bとか決めるのではなく、A要素が順方向に脳神経回路に影響して、B要素が逆方向に脳神経回路に影響して、脳神経回路を舞台として反応が起こる、という表現でよいのではないかと思う。A要素とB要素は単にお互いの強度が関係するではなく、鍵と鍵穴の関係で反応するのかもしれない。

遺伝子から順方向に情報が流れて脳神経回路が形成され、一方、逆方向に感覚器から脳神経回路方向に情報が流れ、脳神経回路が形成される。順方向の一部の情報は環境・状況を変える。また逆方向の一部は遺伝子まで届いてエピジェネティクスとして働く。そのようにして、遺伝子と環境・状況の積分としての現在の脳神経回路がある。それが病前性格である。