内因心因一元論 1926年、イギリスのMapotherは、精神科病院に入院している躁うつ病患者と、外来診療所を訪れる神経衰弱症の患者は、重症度が違うだけで同じ病気だと提案した。 このころは外来を訪れて憂うつだとか、具合が悪いが原因がよくわからないという人たちは神経衰弱症(Beard)と診断されていた。それをいきなり軽症の躁うつ病(Kraepelin)だといったのだから、問題発言だった。 しかし考えてみれば、シゾフレニーと対立して、経過が循環するまたは決定的に悪化しない病気と考えれば、躁うつ病は神経衰弱と似ていた。 躁うつ病における軽症=神経症性と重症=精神病性は重症度が違うだけで本質的には同じだと考えた。
一元論 イギリスでは精神分析が盛んだった。精神分析の人たちは躁うつ病は喪失体験の延長にあり、精神病性も神経症性も重症度が違うだけで根本病理は同じ、つまり心因性だと考えた。
内因心因二元論 それに対して、生物学的精神医学の医師たちは精神病性うつ病と神経症性うつ病は別のものだと考える傾向にあった。入院している精神病性うつ病と外来を訪れる神経症性うつ病は違うと考えるのは、精神科病院の実態を知る医者にとっては当然のことだった。生物学派の医師たちは躁うつ病は脳に何かの病変がある病気であり、神経衰弱症は心因性の病態だと考えた。
二元論 診察で、心因が見つかっていれば心因性うつ病であり、心因が見当たらなければメランコリーだとする原始的な診断学が一般外来クリニックでは通常だった。誘発イベントなく自生的に発症するものをメランコリータイプとした。もちろん、学問としては不十分である。
二元論 Gillespieは、気分が環境に反応しないという『気分の非反応性』によって、メランコリータイプうつ病と心因性うつ病が区別できるとした。メランコリータイプでは気分は環境に反応しない。心因性では環境に反応して、明るくなったり憂うつになったりする。
一元論 Lewisは Gillespieのいう『気分の非反応性』は基準としてあまりにも曖昧だと否定した。遺伝子が原因と考えたとして、異なる遺伝子が原因となる何種類かの遺伝的うつ病があるかもしれないし、環境・状況による心因性うつ病も確かにあるだろう。しかし実際にはそれらを鑑別することはできない。ただ症状の急性・慢性と軽症・重症を区別できるだけだ。急性・重症は躁うつ病で精神病性であり、慢性・軽症は神経衰弱症ないしは神経症性うつ病で神経症性である。現実検討能力が保たれていれば神経症性であり、現実検討能力が損なわれていれば精神病性である。その中間については恣意的である。恣意的なものは鑑別できないので、一続きのものとして考えるべきである。
その後もメランコリータイプうつ病(急性・重症)と神経症性うつ病(慢性・軽症)の鑑別についてはいいアイディアがなかった。
二元論 Yellowleesはメランコリーは精神病であり、身体療法が有効で精神療法は無効である。一方で神経衰弱は精神療法に反応し、しばしば精神分析療法が有効であると論じた。
この後、精神病性と神経症性の正確な鑑別について探求があったが、結局成功しなかった。 診断にあたり、発病状況・環境について診断者が知れば知るほど、反応性と診断しがちになる。そのような頼りない診断である。
二元論 1950年代になり、ドイツの内因性うつ病の概念が広まり、同時に通電療法と三環系抗うつ薬が登場し、内因性うつ病とは身体療法である通電療法と三環系抗うつ薬が有効であるような病態であると考えることができるようになった。それが無効で、精神療法が有効なものが心因性うつ病であるということになった。内因性と心因性の明確な鑑別法がついに登場した。
二元論の洗練 その後、Wattsが内因性うつ病であるが軽症のものが存在すると報告した。精神科外来医院を受診する比較的軽症のうつ病のなかに内因性うつ病が存在する。軽症内因性うつ病の発見である。内因性=重症の従来の常識は否定された。 誘発イベントの有無で判定するのではなく、症状の詳細から診断する。身体的訴えに潜む内因性うつ病を発見し、さらに神経症症状群に潜む内因性うつ病を発見した。
二元論 入院:重症・内因性うつ病:通電療法有効・薬剤有効・精神療法無効 外来:軽症・内因性うつ病:同上 外来:軽症・神経症性うつ病:通電無効・薬剤無効・精神療法有効
しかし医療者としては、通電療法や抗うつ薬を試してみて、有効だったら内因性という鑑別方法は、実際には採用できない。したがって、家族歴、成育歴、性格傾向、などを参考にして鑑別することになり、内因性と心因性・反応性・神経症性の境界線は再び不鮮明になる。 従来は、まず軽症だな、つまり神経症性だなという印象を持ち、性格傾向などをチェックしながら成育歴を聞いて、誘発イベントがあったかどうか尋ねる。たいていは何かあるし、なければ無意識の病理ということで心因性として診断完了となっていた。 しかし軽症でも内因性うつ病があるとなると、診断には慎重になる。 この時点でも内因性の診断は簡単というわけにはいかない。最近ではメランコリータイプをチェックする質問紙もある。
考えてみれば、内因性ははっきり定義できないし、心因性も明確に診断することはできないので、両者の鑑別もうまくいかないのも納得できる。
アンヘドニア=喜びと興味を体験する能力の喪失が鑑別に有効ではないかと提案された。それはDSM-5にも反映されている。しかしそれを正確に診断することは難しそうだ。 気分の非反応性、「悲しむことも喜ぶこともできない状態」「悲哀不能」、さらに「感情が層構造をしているとして、その基底層のあたり、身体に近いあたり、人格の最深部,もっとも身体に近い生命的な層での障害。だから特有の身体的な愁訴にもつながる」などが鑑別ポイントとしてあげられるが、どれも難物である。
こんな具合に細かく見ていくと、いろいろなタイプのうつ病がどのように関係しているのか簡単には判定できないと思う。しかし脳の仕組みとして、遺伝子から神経回路に向かう情報の流れと、環境から感覚器を経過して神経回路に向かう情報の流れの二つがあることは確実に言えることだ。 順方向と逆方向と表現したが、内から外への流れと、外から内への流れとがあり、神経回路のレベルで両者が出会う。 たとえば、認知行動療法が分かりやすいが、これは神経回路に働きかける治療である。行動活性化療法などは主に神経回路に働きかけ、うまくいけば神経細胞のモノアミンにまで作用が届くかもしれない。 うつ病Aとうつ病Bの逆向きの流れが神経回路レベルでぶつかることになる。だから、どちらか100%ということはないだろうとは思う。
個人的にはうつ病Cの事態も起こっていると思うので、うつ病A、Bだけでは足りないと思う。うつ病Cでは、いったん火事が起こって損傷が起こった神経回路で修復プロセスが進行するが、同時に神経細胞レベルでの修復プロセスが大きく働き、そのときの物質変化が報告されている。神経細胞レベルでの修復と神経回路レベルでの修復が必要である。 このとき、修復プロセスについては、根本的には遺伝子にプログラムされた修復過程が進行するので、情報の流れとしてはうつ病Aの順方向の流れになる。 ただ、うつ病Aでは、通常時の神経回路を作り、うつ病Cでは火事の後の緊急修復として神経回路を作るという違いがある。 内因性、メランコリー、心因性、反応性、神経因性、性格因性、環境・状況因性などの言葉については、どの部分を切り取っているかというだけの問題だろう。
抗うつ薬は神経細胞レベルで効く。通電療法は神経細胞レベルでも効くが、神経回路レベルで、『火事』と同じことになるので、通電療法の後には『焼け跡の修復』が進行することになる。この点で、抗うつ薬と通電療法の違いがある。 うつ病Aの場合には薬剤は神経細胞レベルに効くだけであるが、通電療法では神経回路レベルでも修復が起こるので、薬剤よりも効果的ということになる。 躁状態などで『火事』が起こって、その後に起こるうつ病Cについては、神経回路の修復プロセスが順調に進んでいれば薬剤でもいいのであるが、神経回路の修復でうまくいかない部分があったりしたときには、通電療法で作りかけの神経回路をいったん破壊して、再度修復するということもできる。 たいていは少しのレベルダウンをも伴うのだろうが、そのほうが生きるには楽なのかもしれない。