100%の愛は、近代恋愛文芸の産物である

統計的な事実というのではないが、複数人の話から思ったこと。

かなりの知識人階級で、夫婦関係に困難がある場合、女性が『夫は私を本当には愛していない。昔好きだった人のことが忘れられないのではないか』などと失意と憤怒を込めて語る。

現代的な夫婦関係の基礎に恋愛関係があり、お互いに他の人には目もくれず、100%の恋愛感情を維持して夫婦生活を送るなどと思う。それは近代的な恋愛観だし婚姻観であって、不思議というわけではないが、多少世間知らずである。

そのような関係は恋愛小説や少女漫画の世界にあるものであって、生身の人間には求めても得られないものではないだろうか。

むしろ疑問なのは、夫に対してそのような不満を持つとして、妻の側は自分が理想とするように夫を100%愛しているかと言えば、そのようなことはないと思われることである。

たぶん夫の妻に対する関心はやや薄いとしても、妻の側で積極的に100%の恋愛感情で暮らしていれば、年月を暮らすうちに、人に愛情を伝えるにはどうすればよいかとか、感謝を伝えるにはどうすればよいかとか、そのような対人交流の仕方を、夫は学ぶだろうと思う。

夫について、この人は夫婦間の愛情というものが分かっていないと思ったとすれば、妻は時間をかけて、夫にそれはどのような感情で、どのように表現して、どのように味わうものなのかを、自分なりに教育するしかないだろう。

夫も学習能力がないわけではないのだから、仕事が忙しい、子育てが忙しい、などの中で、どのように夫婦の愛情を熟成させてゆくものか、学ぶのではないだろうか。

もちろん、その時、夫または妻の側に、精神の何かの支障があって、うまくいかない場合にはアドバイスするが、お互いの人生観とか世界観とか夫婦観とかのズレがある場合には、『私なりの愛情を実践し、相手に学習してもらう、それを期待して時間をかける』というくらいの感覚が必要なのではないかと思う。

私を100%愛さないなら、私もあなたを100%は愛さない、というなら、もうそれで行き止まりではないか。妻は夫をATMだと思うし、夫は妻を家政婦だと思う。子供とはDNAがつながっているが、夫婦は他人である。義父母なども所詮は他人である。

言い方を変えれば、子供を愛するようにパートナーを愛せるかという、自分の問題である。夫が私を100%で愛さないから、私も夫に限定的な愛情しか抱かないし、限定的にしか表現しないとなれば、そのことから今度は夫の側が、『妻は子供だけが大事なのだ、夫は種馬程度のものなのだろう』と感じるかもしれない。そのように段階的に、ボタンの掛け違いが生じる。

そうなれば、本当に、妻以外の人に心を向けてしまうかもしれない。

結論を言うと、夫が妻を100%愛して、妻が満足しきるということは現実には難しい。そのようなことを相手に要求するのではなく、自分はどうしているのか、反省してみたらよい。一方的なイニシアチブで、私はあなたを100%愛する、その仕方をこれから見せてあげるから、学習してください、というくらいの心で日々を大切に過ごしたらよいだろうと思う。

とは言いながら、相手に対する憤怒が大きすぎるし、自分の父母は自分の味方だし、自分を訂正することは難しいだろう。

父母にしても、自分の子供を訂正するのは自分たちの育て方を否定するようなもので、なかなか難しい。自然な流れとしては、自分の子供のパートナーに対して、否定的に評価するようになる。ある程度以上の階層になれば、自分の子供はどこに出しても恥ずかしくない、くらいの自信はあるようだ。それに対して、自分の子供のパートナーは、こちらが譲歩して肯定する要素などない。

これが、複数の立場の人の関与があり、いろいろな立場があり、そうして物の総合された価値判断ということになるなら、また違うのだろうが、夫婦の世界というものは基本、『二人きりの密室』であり、多数決も無効だし、事実認定の作業も困難である。

場合によってはどちらかの父母や兄弟が客観的立場で動くこともあるが、その場合はたいていは、人間味のない裏切り者と言われておしまいだろう。

誰にも訂正はできないのである。

祖父母の世代ならば、知恵はあるかもしれない。しかし現代では、祖父母が尊敬される家は少ない。祖父母は実際の権力は失っている。権力は父母にある。富も父母の世代に移動している。世間の評判、つまり肩書も父母世代のものである。祖父母の意見は弱い。祖父母の片方は死亡し、片方は施設に入居しているというような具合だ。大事な場面で知恵を授ける立場ではない。

宗教では、このような場合、愛することは赦すことであると教える。妻を100%愛さないというなら、まずそのような感じ方は間違っていないだろうかと検証する必要がある。しかしそのうえで、妻を100%愛していなくて、別の人への愛があるのだとしたら、その場合、『夫は妻を100%愛するべきだ』と怒っていたとしたら、そこからは何も生まれないだろう。あなたが愛さないなら私も愛さないとなるだけだ。そこは幼児性である。そしてそれを親が肯定し応援し、場合によっては、親が、子供のパートナーと代理戦争を始める。

そのようにしなければ、メンツを保てない事情がある。

繰り返しになるが、相手はともかくとして、自分は相手に対する100%の愛情を生きて見せる、それに毎日接して、盲目であるというのは、困るが、それでも、盲目であっても心の目で愛情が何であるか、何をするものであるか見えるようになるまで、100%の愛情を生きるしかないだろう。

そしてそのような生き方だけが価値ある人生だと思う。