下書き うつ病勉強会#177 寝たきりになると脳脊髄液の流れが止まるのではないか 結果、認知症が進行する との仮説につながる話

 先日、アメリカの食品医薬品局(FDA)がアルツハイマー病の新薬「アデュカヌマブ」を承認したことが話題となった。この新薬は、脳の中にたまったアミロイドβという異常なタンパク質を取り除く役割があるそうだ。

 じつは健康な人でも、脳の中でアミロイドβは作られているのだが、脳内の「ある働き」によって日々洗い流されている。その働きを担っているのが、「脳の中の水」だ。

 脳は硬い頭蓋骨の中で液体に浸っているのだが、脳の隅々を満たすその「水」は、常に流れて入れ替わっている。この水の流れが、脳の健康に関わっている。

 人はなぜ歳を取ると認知症になるのか、その謎を解き明かす鍵が、この「水の流れ」にあるのかもしれない。

 そして、「水の流れ」を良くするには、私たちが毎日している「あること」と深い関係があると言われるのだが――。

 海は、人類にとっても故郷と言えるのかもしれません。人体のおよそ6~7割は水からできていると言われています。その水には、色々なものが溶け込んでおり、生理食塩水と呼ばれているとおり塩っぽいものです。

 私たちの祖先が海からやってきたことを思えば、私たちの体を作る細胞にとってはそれがもっとも居心地が良い状態ということができます。細胞の中は当然のこと、細胞の外側も同様の液体で満たされています。

脳は液体の中に浮かんでいる

 脳は、頭蓋骨によって厳重に守られていますが、さらにその中には液体が詰まっており、脳はその液体の中に浮いているような格好をしています。この液体は「脳脊髄液」と呼ばれており、脳の衝撃を吸収する緩衝材としての役割を果たしています。たとえて言うと、お豆腐のパックが水で満たされているのと同じ理由です(実際は漬物のパックのようにもっと密封されたものですが)。

 脳脊髄液は、”脳の中”で常に作られている特別な液体ですが、元々は私たちの体内にあるものから作られています。何だかわかるでしょうか?

 そう、血液です。脳の中には、血液をこし取って、赤血球や白血球などを取り除き、成分調整をして脳内に送り込む特殊な場所(脈絡叢/みゃくらくそう)が存在しています。

脳室と脈絡叢。脈絡叢で脳脊髄液が産生される。脳脊髄液は、側脳室、第三脳室、中脳水道、第四脳室と流れていき、脳全体や脊髄へと送られる

 脳の中で脳脊髄液が作られる場所は、脳室と呼ばれる空間で、脳の左右に一対、中央に一つあり、それぞれ側脳室、第三脳室と呼ばれています。第三脳室はさらに第四脳室へと繋がっており、そこから脳と脊髄全体に脳脊髄液が送られています。

1日に4~5回、入れ替わっている

 成人の脳における脳脊髄液は、約130 mLと言われています。脳の容積は約1500 mLなので、脳の1/10に相当する量が液体だというわけです。

 脳脊髄液は、約5~6時間で全量が入れ替わる程度のスピードで産生されていますから、1日に4~5回入れ替わっている計算になります。

 したがって脳脊髄液は、ただ脳を浸しているだけなく、頭蓋骨の中で常に流れています。脳脊髄液は、循環したあと、脳表にある血管に吸収され全身に戻ります。

重要な脳を守る構造

 脳はただでさえ頭蓋骨によって頑丈に守られ、さらには緩衝材としての液体を備えていることからも重要な臓器であることをうかがい知ることができます。

 さらに、頭蓋骨の下は3層からなる「髄膜」によって覆われています。髄膜は、硬膜、クモ膜、軟膜の3つからなっています。硬膜下血腫やクモ膜下出血という病気があるとおり、この膜の上にある血管で出血が起こると、血液が溜まってしまい、脳組織を圧迫すると低酸素状態になってしまい、ひどい場合には脳組織が壊死してしまうため深刻です。

硬膜、クモ膜、軟膜からなる髄膜

 硬膜とクモ膜、軟膜と脳表の間にはほぼ隙間がなく、見分けるのは難しいとされています。一方、クモ膜と軟膜の間には、クモ膜下腔(くう)と呼ばれる空間があります。じつは、脳脊髄液は、このクモ膜下腔を通って移動していると考えられています。

甘くないスポーツドリンクのような液体

 細胞と細胞の隙間を満たしている液体は「間質液」や「組織液」と呼ばれており、細胞が活動した際に排出されるさまざまな老廃物をリンパ管へと洗い流す役割を持っています。

細胞間を満たす間質液を模式的に示した。間質はいろいろな器官・臓器で共通して持っている構造。細胞と細胞のすきま、組織と組織のすきまには、線維と体液からなる空間が存在する〈Benias et al., Scientific Reports volume 8(2018)を参考に作製〉

 脳細胞を取り囲んでいる間質液は、脳脊髄液が脳組織内に染み込んでできたものです。脳脊髄液の組成は、そこまで甘くないスポーツドリンクのようなもので、ナトリウムやカリウムなどのイオンが溶け込んでいます。じつは、この脳細胞を取り囲む間質液のイオンバランスが脳の電気的活動の元になっているのです。

脳の”ゴミ”はどこへいくのか?

 脳は人体全体の基礎代謝の約20%のエネルギーを消費すると言われており、ぼーっとしているときでさえ肝臓や筋肉と並んで非常に活発に働いています。エネルギーを使って働いたあとには当然さまざまな代謝老廃物が発生します。

 例えばアミロイドβと呼ばれるタンパク質は、老廃物の一種と考えられており、脳内に蓄積することがアルツハイマー病と関連すると言われています。アルツハイマー病は、主に高齢者がなるとされていて、認知症記憶障害を伴う深刻な病気です。

 脳に沈着したアミロイドβは、別名「老人斑」と言われるとおり、お年寄りのイメージが強いですが、じつは、若い人の脳でもアミロイドβは発生しています。では、健康な脳を維持するために、この脳の中の”ゴミ”はいったいどこへ運ばれているのでしょうか。

長年の謎、脳のリンパ管

 先ほど、老廃物を含む間質液は、リンパ管に吸収されると述べました。リンパ管は、全身をくまなく覆っており、私たちの活動によって生じたゴミを洗い流してくれています。

 しかしながら、どういうわけか、脳組織でのみ、このリンパ管が見つかっていませんでした。したがって脳がどうやって老廃物を洗い流しているのかは、医学分野でも長年の謎でした。【えー、特に謎ではないと思いますがねえ。】

 じつは、この謎を解く鍵は、これまで述べてきた脳脊髄液の流れにあったのです。【えー、鍵というほどではないですよね。】

脳内の水が老廃物を流す

 2012年、アメリカのロチェスター大学の研究グループが、脳脊髄液の流れを可視化し、脳脊髄液が、脳表から脳の中へと続く太い血管の周囲に存在する空間に沿って脳組織の中に入っていくこと、それが間質液として染み込んでいくことを明らかにしました。

 血管の周囲に存在するスペースは、血管周囲腔と呼ばれています。さらに、老廃物を含む間質液は、血管周囲腔を通って脳脊髄液に戻されるため、リンパ管がなくとも老廃物を排出することが可能であるということを明らかにしました。

脳脊髄液が脳の老廃物を洗い流すしくみ。脳脊髄液は、血管周囲腔から大脳動脈に沿って脳に流入し、間質液となる。 そして間質液は、静脈側の血管周囲腔へ吸収され、脳脊髄液に戻される。この過程で、間質液は老廃物を運搬し、血液を伝って老廃物を排泄するしくみがあると考えられる〈Iliff et al., Science Translational Medicine(2012) を参考に作製〉

 つまり、脳脊髄液の流れは、単に脳のダメージを吸収するためだけでなく、脳の老廃物を排泄するいわば脳のリンパ排泄のような役割を担っていると言うアイディアです。実際、脳に注射したアミロイドβが、脳脊髄液の流れに依存して排出されることが示されました。

脳の中の水の通り道

 この脳内の液体の流れには、アクアポリン4と呼ばれる、脳の中で水の通り道を作っているタンパク質が重要な役割を果たしていることもわかりました。

アクアポリン4:脳の中の「水の通り道」 アストロサイトの足突起に集中して存在するアクアポリン4は、脳脊髄液を 動脈側の血管周囲腔から脳実質に送り込んだり、静脈側の血管周囲腔へ間質液を送り出したりするはたらきに関与していると考えられる

 アクアポリンは、1992年、アメリカの科学者ピーター・アグレによって発見されたタンパク質で、主に腎臓などで水の出入りに関与していることが知られています(その功績でアグレは2003年ノーベル化学賞受賞)。現在では、たくさんの種類があることがわかっており、その中でもアクアポリン4は、主に脳に存在していることが知られています。

 遺伝子改変技術を用いて、生まれつきアクアポリン4を欠損したマウスを作ることができます。この欠損マウスでは、標識した脳脊髄液が脳組織の中に染み込む度合いが悪いことや、注射したアミロイドβの排泄がうまくいかないことなども示されました。

グリンファティック・システム

 脳の中で、アクアポリン4を持っている細胞は、グリア細胞の一種、アストロサイトと呼ばれる脳細胞です。アストロサイトは、脳の中で多様な働きをしています。

ニューロン(神経細胞)とグリア細胞。ニューロンは長い軸索を持ち、他のニューロンとシナプスを形成してつながることで、電気信号を伝えている。脳内にはニューロン以外のグリア細胞という脳細胞もあり、それぞれ重要な役割を担っていると注目されている

眠っている間に、脳が掃除されている?

 さらに同グループは、2013年、このグリンファティック・システムが睡眠によって促進されることを明らかにしました。マウスを用いた実験の結果、覚醒状態にあるマウスでは、標識した脳脊髄液が、脳組織内に浸透する割合は低かったのに対して、睡眠をとっているマウスや、麻酔によって強制的に眠らせたマウスでは、脳脊髄液の流れが促進されることが明らかとなりました。

 脳の中で、睡眠と覚醒に関与している物質の一つにノルアドレナリンが挙げられますが、研究グループは、このノルアドレナリンを受け取れなくする阻害薬を脳に直接作用させると、たとえ起きていたとしても、脳脊髄液の流れが良くなるということも示しました。

 以上のことから、私たちの脳では、睡眠中に脳の中の老廃物を洗い流しているということが示唆されました。生物にとって睡眠時間は、体を休める以上に、よほど重要な意義があると考えられてきました。なぜなら睡眠は、生物にとって最も無防備になる瞬間の1つだからです。その理由のひとつが、脳の中のゴミ洗浄にあるかもしれないということは、大変画期的であり、納得のアイディアと言えるでしょう。

しかし、賛否両論も

 注意が必要なのは、このアイディアは、現段階ではあくまで仮説にすぎず、まだ評価が定まっていない点にあります。多くの魅力的なアイディアがそうであったように、これから多くの批判にさらされて洗練されてゆく必要があります。一方、近年では、ヒトでも睡眠中に脳脊髄液の流れが変化することが示されつつあるなど、脳科学の中でももっともホットな話題の1つでもあります。