精神運動抑制の項、続き。
Psychomotor retardationがいいか、Psychomotor inhibitionがいいかは問題があり、個人的にはPsychomotor inhibitionのほうがいいと思うが、まあ、大差ないとして話を進める。ドイツ語だとHemmung でpsychomotor retardationのこと。
でも、retardationとinhibitionだと少し違いますよね、たぶん。retardationだと、燃料がないのかもしれないし、ブレーキかかっているかもしれないし、いずれにしても、出力が思うように出ないわけです。
inhibitionだと燃料はあるけれども、それがせき止められている感じ。
精神運動 Psychomotor という言葉は、言葉の歴史は別として、単純に考えれば、第一にはPsychoは精神で、motorは運動器だから筋肉のことで、つまり、精神と筋肉運動の抑制かと考える人たちがいる。
実際、文献でも辞書でも、そのように(精神+筋肉運動)の抑制の意味で説明しているものが多い。
しかしpsychoとmotorは並列にできる言葉なのだろうかと思う。精神と肉体が対応する言葉だろう。
1900年ころのヨーロッパでは、フロイトの話のように、脳内のメカニズムを力学的に考える人たちがいて、たとえば水力学のように考えた。リビドーの抑圧とか昇華とかは、そのようなイメージである。精神分析でいう防衛メカニズムの一部はそんな雰囲気の言葉が使われている。分かりやすいと思う。しかし実際の精神のメカニズムを描写しているかどうかを厳密に考えると怪しい感じもする。まあ、大雑把な例え話である。
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ここで防衛機制(defence mechanism)という言葉が使われるが、メカニズムを機制と翻訳するのは、ほとんど意味が分からない。機制はメカニズムのことと読み替えなければ、日常の言葉から類推することは難しいと思う。こんなことで無駄なエネルギーを使っているから本質をとらえることができないままで終わる。まあ、それはそれとして。
たとえば、カントの『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書などを例にとると、批判とはドイツ語の Kritik のことであるが、英語の criticismであり、辞書には「批判、非難、評論」の意味と説明されている。しかしカントが純粋理性や実践理性や判断力を批判したり非難しているわけはないのであって、『厳密に考える』というくらいの意味だと思う。日本語の批判という言葉には厳密に考えるという意味はないので、何を言っているのか最初から不明になる。精密に論証するとか緻密に考察するとかの意味で考えたほうがいい。カントの本で批判という日本語はドイツ語のKritikだと思った方がよくて、critical thinking などと使うような用法である。「クリティカルシンキング(critical thinking)は、批判的思考とも呼ばれるものであり、感情や主観に流されずに物事を判断しようする思考プロセスです。」と説明があるが、批判的思考と呼ばれていいんですかね。疑問です。厳密思考と言った方が分かりやすいと思う。まあ、それはそれとして。
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その感覚でいえば、psychomotorは「精神を駆動するモーター」の意味と考えるのは自然である。
精神エネルギーがあって、精神モーターがあって、精神活動が成り立つ。精神エネルギーがなくても、精神モーターが壊れていても、ブレーキがききすぎても、精神活動は不活発になる。
そして、Psychomotor retardation ならば、「精神を駆動するモーターの抑制」である。自動車のエンジンとブレーキの関係は、ブレーキがエンジンそのものを止めるのではなく、車輪を止めるだけなので、ここでの説明とは少し違う。つまり、燃料があって、それが燃えて、精神を駆動するとイメージするとして、精神を駆動すればいろいろな考えや感情、そして意欲などの精神機能が活発になる。そこで精神を駆動するモーターの動きを抑制すれば、つまり、モーターのシャフトに直接ブレーキをかけるイメージですかね、そうすれば、精神活動は沈滞する。自動車のようにエンジンは回転しているけれども、クラッチを使って車輪だけにブレーキをかけるというのとは少し違う。
このように、精神を動かすモーター(エンジン)で、車軸に直接に摩擦を生じるようなブレーキがかかり、駆動力が低下する。それがpsychomotor retardation の意味だと思う。実際にはエネルギーの本体もモーターの本体もはっきりしないのだけれども。それをはっきりさせると思っても、所詮例え話なので、それ以上は考えても仕方がないように思う。
その結果として、意欲低下や思考遅延、抑うつ、集中困難、根気が続かない、面倒くさいとなる。
他方で、エネルギーがモーターに供給されないという意味で、psychomotor retardation は精神エネルギーの低下である説明しているものもある。力学的モデルで考えてみれば、モーターに燃料が供給されない場合と、燃料はあってモーターに届いているのに車軸にブレーキがかかっているのとは様相が異なるのだが結果としてはだいたい同じものになる。
違いを考えると、リビドーは確かにあるけれども、モーターが動かない場合には、外に噴出しようとしているリビドーに蓋をして閉じ込めるイメージになる。それが防衛メカニズムでいう抑圧である。この場合、まず、抑圧するのにはエネルギーが必要である。次に、体調が悪い時には抑圧しきれなくて、隙間からリビドーが漏れ出てしまうことがある。このあたりが、リビドーが足りなくてpsychomotor retardation が発生するのとは少し違う。
リビドーそのものがない時には、たしかに精神活動が不活発になるが、ブレーキをかけるときの摩擦熱も感じられないし、ケースによっては隙間からエネルギーが漏れ出ていることもあるだろうが、その特有の感じもない。
他方で、精神モーターの部品が何個か壊れてしまい、うまく回らないのがシゾフレニーのDefectである。(つづく)