不思議であるが、日本国民は新型コロナの心配は感じていないのだろうか。私はテレビで市民の発言を聞いて恐怖を感じる。
感染を制圧したわけでもない、治療法が確立したわけでもない、ワクチンで予防ができるようになったわけでもない、若者の間に蔓延し、次は高齢者化という段階で、高齢者施設はブロックに躍起になっている。ブロックのせいで施設で暮らす高齢者は面会謝絶が続いている。
思い起こせば、国産牛肉券とかの話が最初のころあって、PCR検査はいらないとの話がずっと言われていて、武漢からの観光客をブロックすることはせず、欧州からの観光客もブロックせず、東京オリンピックは予定通りやりたいとか、そんなスタートで、PCR検査に関しては保健所というものの仕事ぶりがあぶりだされたりして(知っている人には新しい情報ではなかったけれども)、いろいろあったけれども、結局のところ、何も学ばず、政府は一切当初の方針を変えることなく、観光振興とか飲食店振興とかに励んでいるのだ。
国民はこのような政府の態度に恐怖を感じないのだろうか。ある国会議員が、この局面では命の選別だ、選択となれば高齢者は後回しで当然だとの趣旨の発言があったように聞いている。
一体ブレーキはどこに行ってしまったのか。あまりにもレベルが低い。今さらそんな話なのか。ブレーキのない自転車で坂道を転がり降りているような感覚だ。
ニュースショーのスポーツ枠では、それでも、オリンピックができることを信じて努力したいとか、自発的に言っているのか、言わされているのか、編集されているのか、大変不思議な発言が相次ぐ。子供でもあるまいに。この恐ろしい状況で、スポーツで勇気を与えるとか、空疎。おまけに、勇気を与えれるようにとか「らぬき」言葉で、字幕で訂正して流している。絶望「しか」ない。
命を守るために真剣に考える人はいなくて、牛肉屋の手先とか、観光屋の手先とか、そんな人ばかり。自民党幹事長が観光業界の元締めだとか書いてあった。危機感は全く薄い、そしてピントがずれている。結果として命を落としていくのは、高齢者や持病のある人である。
こんなにもテクノロジーの進歩した社会でいったい何がかみ合わなくてこんなことになっているのだろうか。不全感と怒りを感じる。
あまりにもでたらめではないか。