PCパーツの相性問題 ひいては自然科学と神と西洋

最近、AMDのCPUがよく売れているとかで、なるほど、よさそうではないかと思い、長年のインテル使用者であった私もAMDパーツを使っての改造をいくつも実行。
その中で、マザーボードとメモリーの相性問題があったようで、インテル時代には、メモリーの大雑把な規格さえ合っていれば、あとはバルク品で構わないという認識だったのが、最近適当に安いのをいくつか買って刺してみたところ動かないものもあり、なるほどこれが相性問題かと認識した。
メモリーソケットが4つあって、その場合、ひとつならA2に、ふたつならさらにB2を使い、4つならA1,B1も使うということのようで、この点も不思議だった。昔は、CPUに近い位置が最初の場所で、二つ刺すときはそれとペアになる一つ離れた場所を使うのが原則、でも、なにかおかしいなというときに、メモリーを疑って、別の場所に刺すこともあって、それはそれで、いい加減な場所に刺してみても、別に問題なく動く感じだった。
DDR4-3200の規格ならそれでOKとか雑に認識していたのだが、相性問題は広く認識されていて、パーツを売る店でも、製品の10%を支払ってもらえれば、相性問題が発生したときには交換するとか、サービスを実施している。ドスパラとかpc工房とか。メモリーメーカーのCrucialでは、どのpcにどのメモリーが使用可能か、判定するサービスがある。判定に従って購入して、不都合があった場合は、無償交換。
こうしてみると、パーツの相性問題はあるのが当たり前、保証で解決するか、仲間で情報を共有するか、自作pc派はそこも楽しいと割り切るか、というあたりになる。

しかしながら、人間と人間なら相性の問題ということで納得できるが、それは複雑さの程度が高いからだ。

電気製品で相性の問題と表現するのには違和感がある。どこが具体的に適合しないのかわかるはずで、それを測定して、明らかにするのが科学だろう。

そもそも自然科学の態度というのは、誰か名人がやればうまくいくが、それ以外の人、場所、時ではうまく行かないということを否定し、科学と認定しない。
誰がやっても、どこでやっても、いつやっても、同じ結果が得られる。そのように測定を厳密にして、科学は進歩してきた。
なにかのコツが有るという場合でも、その内容を分析して、誰でも共有できる指標で認識できるようにしてきた。

それなのに、個人用のPCで相性問題とは、なんて文系的発想なのかと呆れる。
なんのために「規格」というものがあるのか、無意味ではないか。DDR3とDDR4ならば、規格を表示しないでも、ソケットに刺さらないのだから判別できる。何のために何を表示しているのか。

しかし現実には、マザーボードA,Bがあり、メモリーX.Yがあるとき、組み合わせを実行してみると、欠陥品や故障ではないことがわかる。組み合わせによっては動くから。これを相性と言うのは適切だろうか。


そう思って調べてみると、いろいろあった。

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コンピューターの全てのデバイスは同期を取って動作します。
この同期を取るなどの基本動作を行っているのが「コントローラー」チップになるわけですが、近年のパソコンは高クロックで動作するためタイミングがシビアになってます。
同じメーカーから販売されている同一製品のメモリ
でも、ロットが変わればコントローラーが変わることもあります。

タイミングが狂うと正常に動作しなくなったり、メモリなら読み出す情報が化けるなどの症状が起こります。
信頼性の高い製品はHandshakeで互いに確認を取りながら次の動作に進んだりするのですが、そういうモノはたいてい高価で高速ではなくなります。安いモノは仕様に沿って「相手は仕様通りに動いている」という前提で次の動作に進んだりしています。いわゆる「思いこみ」ですが、この「思いこみ」が期待通りにいかないとフリーズすると言うこと。

よって、組み合わせ次第では「相性」問題が発生します。

各メーカーでは品質チェックの基準が当然ありますが、幅があります。幅はメーカーにより異なるかもしれないし、この幅のぎりぎりのところで正常品と判断されたモノがいわゆる「ハズレ」になりやすい。ハズレ品でも組み合わせを変えれば正常に動くこともある。決して「不良品」「故障品」ではない。このへんを素人はすぐに「不良品」と騒ぐためショップでは「1週間以内であれば無償交換」などのサービスを行うハメになったのです。ま、こうしないと客が来なくなると言うのもありますけどw

Memtestでエラーが出るのはまた別の問題。
メモリの製造プロセスを知っていればその理由は簡単。
CPUやメモリというのはシリコンなどの半導体の純度を極限まで高め、円盤状にしその上に回路を焼き付けています。この円盤をウェハという。
一枚の板になるワケなので純度が全て均一になっているわけでもなく、回路に焼き付ける際、ホコリが付着していればそこに回路は生成されません。
そういう部分が製品として出荷されれば、特定アドレスでエラーが出るわけです。

1枚のウェハからいっぱい製品が取れれば単価を安くすることが出来る。不良が多いと高くなる。この原理はデジカメのイメージセンサーも同じ。だからセンサーの小さいデジカメは安く、大きいデジカメ(デジタル一眼)は高い。
ウェハからICの状態になったチップをメモリ製造メーカーが仕入れて見慣れたメモリにするわけですが、その際に全アドレスのRead/Write試験をするかしないかでも製品価格に差が出てきます。
一寸前ですが、そういう試験をした製品のメモリは1GBで10万円もしていました。テスト方法も段階があり、手を抜くほどコストを抑えることが出来ます。

ーーーーーなるほど。別の意見は、

一般的に工業製品はマージンをもって設計されています。
例えば10mmのネジを作成する場合に全て10mmピッタリの寸法で作成できず、ある程度の誤差を許容します。
同じくネジ穴も誤差を含んでいます。
ネジメーカーもネジ穴を作るメーカーもその許容値が同じであれば相性問題は発生しません。

例えばネジ寸法で許される誤差範囲が9.5mm~10.5mmとしましょう。
ネジメーカーが9.5mm~10mmを許容するネジを作成し、ネジ穴メーカーが10mm~10.5mmを
許容するネジ穴を作成した場合、ちょうど10mmのネジとネジ穴でしかうまくネジ止めできません。
もしネジが9.5mmの場合ネジ穴にはめることができません。
これが相性問題になります。

ところが別メーカーのネジ穴の許容値が9.5mm~10mmなら問題無くネジ止めできます。

この話の問題は本来のネジの許容範囲である9.5mm~10.5mmよりも狭い許容値のネジなりネジ穴を作成していることです。
メモリメーカーは当然本来の許容範囲でメモリを作成していますが、中には外れた製品が出てきます。
その外れた製品もしくは許容値に入っているかどうかを確認していない製品を安く買ってバルク品として販売しているメーカーがいます。
当然そのような製品は先ほどのような相性問題が出てくるのです。

ーーーーーこれもなるほど。

見た目が同じでも、BANK数だとか、いろいろ、表示されていない、規格が、マザーボード側にも、メモリー側にも、あります。ですから、詳しい人は、このパソコンの最大搭載メモリー量が、512MBと書いてあっても、1GBを載せて、故障なく動かしている人も居ます。コントロールチップが載っているメモリーとか、ECCの有無とか、どんどん調べていけば、マザーボード側の要求誤差とメモリー側の要求誤差と、動作BANK数など、一致すれば、動きますし、1箇所でも、一致しなければ動きません。また、1GBのメモリーでも、片面しか認識せず、512MBと認識する場合もあります。メモリーの細かい規格表とマザーボードの設計表が手にはいれば、相性なんて、抽象的なものでなく、ここが一致しないから動かないとか、ここが一致しなくても、このマザーボードは、許容範囲が広いので、動いているなど、いろいろです。
一般的に、サーバーマシンのメモリーは規格が厳しいので、動作するメモリーが見つけにくいです。

ところが、そこまで、調べたところで、原因が、わかっても、動かないものは、動かないので、面倒だから、「相性がわるい」って言う便利な言葉が出てきただけです。単純に、規格違いってことです。

一部、バルク品には、未検査品といって、故障品も混ざってはいますけど。これは、未検査品=故障ではなく、未検査だから、故障品も混ざっているってことです。


ーーーーーふむふむ。そうか。そうだろうな。これならスッキリだな。

やってみなければ分からないというのは科学ではないし、科学以前の未熟なものだ。面倒で説明しきれないけど、メモリーの細かい規格表とマザーボードの設計表を見て、これは動かないとわかるけど、相性問題はあるので、まずやってみて、とか言っているだけのようだ。

実際には、メモリーの相性問題に慎重に対処するとすれば、マザーボードメーカーが発表しているメモリーの適合表を参照して、適合しそうなメモリーを買えばいいのだが、素人にはさらに困難が待っていて、大体の記号はあっているのだが、末尾の細かな記号が違うという場合がある。たとえば、適合表にはTED48G2666C19BKと出ているが、調べてみると、TED48G2666C1901なら販売しているとか。なにか変更があったのか、よくわからない。G.SKILL F4-3600C19D-16GSXKというのが適合だけど、調べると、これは高額で、現在安価に販売されているのはF4-3600C19D-16GSXKBである。この「B」は何を意味していて、適合するのかしないのか、不明である。

だいたい、こうした問題は、古いパーツを流用しようと思うから発生することで、全部新品で揃えれば、どれも最新規格で問題ないことも多く、問題があったとしても、情報も多いので判別できるのかもしれない。こうした問題を回避するためにも、専門店に組み立てを依頼する人も多いようだ。
そこをなんとか知恵を絞って切り抜けるのが楽しいのだが。

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誰でも、いつでも、どこでも、同じ条件であれば、同じ結果が得られる、そのための条件を測定して確定していく、それが自然科学であり、自然科学的態度である。
中には、その条件を秘密にして、名人技として商売の道具にする人もいて、その場合は、自然科学の発達は遅れることになる。それを公開して貰う代わりに、教育職や開発職のポストと報酬と名誉を与える方が自然科学の発達には役立つ。
それに伴い、特許権の確認なども発生する。すると、それを改良して、別のものだと主張する人も出てくる。どこか変化させたとして、それが本質的な要素なのか、些末な要素なのか、主張が食い違うことは多い。
ゼロックスのアイディアを真似したアップルが、自分のことは棚に上げてウィンドウズに真似されたと言って裁判になって、マイクロソフトは、どこが似ているか証明しろと反撃して、結局立証できず、MSwinは許可された。アップルもアップルだし、MSもMSで、どちらもいいたまである。真似したに決まっているが、裁判とはそんなものだろう。

自然科学が西洋で発達したのに対して、東洋ではどうだったか。特に、中国ではなぜ自然科学は西洋ほどは発達しなかったのか。知識の共有とか、自然と神の関係とか、学校制度、教職制度とか、いろいろあるのだろう。
どちらも、大抵の場合は、古典に帰れで、古典文献学者が活躍した。実験をやって決めようという態度は学者的ではなく、職人的と見なされたものだろう。
しかし、キリスト教の神は、聖書の中にいるのではなく、現にここにいるのであるから、実験して法則が見つかれば、それが神の定めた法則であると認識できる。神は普遍(カトリック)であるから、いつでも、どこでも、誰でも、法則は成り立つ。自然科学的探求は、神を深く知ることと関わっていた。また一方で、神について人間はすべてを知ることはできないとする考えも強力だった。有限の存在が無限を知ることは原理的に不可能ではないかと論議される。しかしその後は無限を有限の手続きで扱う方法もいろいろ出現した。ここがまず西洋が中国と違うところだろう。

中国は病気の説明でも、陰陽五行、気の流れとか、独自の疾病観とか、昔から深遠な真実と認定されていたもの、たとえば朱子学、の上に建築する形で成立してきたと思う。疾病分類と治療についての経験の蓄積はあったが、それを整理して理解する枠は古典だった。

西洋の自然科学の強みは、偶然であるが、アラビア数字を採用したことにあったのではないかと思う。アラビア数字の記法が基礎にあったから、方程式を簡潔に書けるようになり、方程式で考えられるようになった。べき乗の表記も優れていたし、なんといっても、微分積分が見事に、まるで魔法のように、アラビア数字記法に適合していた。ここが自然科学の発展の要であったと思われる。

中国も、シルクロードで、アラビアの産物の入手はあったわけだし、人の交流もあったのだから、早いうちにアラビア数字を取り入れればよかったのかもしれないが、縦書き漢字とアラビア数字は適合しない。「相性が悪い」。アラビア数字とアルファベットはうまく適合し相性が良かった。

数字だけではない。西洋は、アラビア文化の蓄積を大幅に取り入れた。その開かれた態度がルネッサンスにつながる感じもする。

十字軍の略奪品の一部だったかもしれないので、開かれた態度というのも褒め過ぎかもしれない。

しかし要するに、ペルシャの文化を取り入れて、あと一工夫すれば、普遍的自然科学は成立するという状況にあった。西洋でも東洋でも。結果として、西洋では花が開き、東洋では花が開かなかった。
ニュートンなどは神の探求の一部として物理学や歴史学を研究していたという。