韓国ドラマ「製パン王キム・タック (字幕版)」

韓国ドラマ「製パン王キム・タック (字幕版)」2010
面白かった。
スマホのなかった時代を描いている。

人物設定はドストエフスキーのカラマーゾフに迫るものがあると思う。
一旦状況設定をすれば、つまり、初期条件を決めれば、
ニュートン物理学のように、または、ピタゴラスイッチのように(あれは何というものなのだろう、ドミノだおしの大掛かり版)、
運命はがらがらと音を立てて回り続ける。
ドストエフスキー的張力。

しかし映画やドラマの弱いところで、内面の思想表現ができていない。
せいぜい感情が出ているだけだろうと思う。
だから泣いていても、涙が軽い。

倫理を自問自答し、自分の感情が暴発することをいかにして止めるか、あるいはいかにして正当化するか、
そこが肝心なところであると個人的には思うが、特に新しい解答はない。

つまり、問題提起は綺麗にできている。しかし解答がない。そして、解答を求めて悩んだり挫折したり再起したりのところで自省する内容が画像では不足にならざるをえない。

多分、現代の状況であれば、
ひとりはごりごりの新自由主義者、教養もあり、一方で大儲けして、人生の享楽をはばからない、経済的成功者。
ひとりは理論物理学者、またはDNA・進化論研究者、たとえばリチャード・ドーキンスのような人、科学の目で抜群の切れ味で客観的現象を説明解釈するが、現実の権力や金や性的誘惑にどう対処してよいか迷い続ける。
ひとりは古典神学研究から現代宗教的多元論(たとえばジョン・ヒック)までの神学を背景として人々の悩みに向き合う精神医学者、古典の中に現代を見ている。
つまり、この三者は、視点を単純化すると現代アメリカの状況で、プラグマティックな拝金主義、唯物主義、キリスト教の三者のぶつかりあいとなり、
ぶつかるたびに、倫理論争や人生論、宗教論、科学論などが展開される。
現代アメリカでは感情的に騒ぎ、互いの話を聞かず、似た者同士が群れているだけ、お互いを深める機縁がないと思うが、そこを深める。
というように初期条件を設定し、
どのように自動展開するか、見てみたいものだと思った。

脚本が良ければよいで、さらに多くを求めるのは、申し訳ないと思うが。