決定論 不可知論

運命は決まっているというとき、
最終結果が決まっているという意味ではないことが多い。

人の努力も祈りも無意味であるといいたいのではない。
人の努力も祈りも、決定論によれば、すでに決定されているものである。
素朴実在論的な意味での決定論により未来は決まっているだろうが、どうせ不可知である。
不可知なものは未決定であることとほぼ同じ意味ともいえる。

運命が決まっているというのは、
前提条件が決まっているということを言いかえたものだ。
前提条件を精密に測定できれば、結果は精密に予測できる。
その意味で未来は決定しているのである。
しかし人間は前提条件を精密に測定する手段を持たないので、未来は不可知であるというしかない。