ストレスについて考えてみる。
例えば、台風や交通事故のように勝手にやってきて、人間にはどうしようもないので、待つしかない、そのようなストレスもある。
しかしまた、登山の途中の苦しみのように、自分で目標を高く決めて、苦しみに耐え、目標達成のためにストレスを超えていこうとする場合もある。
登山の場合に、自分に適切な程度の道を選べば、自分にも耐えられる程度のストレスを克服すればいいので、それはちょうどよい。ストレスを克服することは人間の幸せでもあるからだ。
ストレスで苦しむという場合、(1)台風のようにどうしようもないもの、(2)自分の目標が高すぎて、耐えるには大きすぎるストレスに直面した場合、の2つが考えられる。
(1)については、結婚したら義母が変だった、引っ越ししたら隣の人が変だった、就職したら上司が変だった、などが代表的で、何も自分の目標設定が無謀だったわけではない。しかし、それは台風のようなもので、望みはしないのに勝手にやって来る。逃げるとか、防御するとか、工夫するしかない。
(2)については、目標設定が適切なのか考えなおす余地がある。
ところが、人間は、ほどほどのストレスで、普通にやっていれば多分達成できる目標だと満足しないところがある。自分にとって少し無理かもしれない、しかしチャレンジしたい、そのような目標設定をすることが多いのではないだろうか。
あと少し頑張れば、もう少し上の目標を達成することができる、きっと幸せももう一段上だろうと思うのだろう。
それは良くわかるし、共感もできるし、チャレンジしてほしいけれども、目標見直しも大切と思う。
昔なら自分の親とか祖父母の世代がどのように生きてきたかを参考にすれば、自然に、自分のDNAと環境を考え併せて、適切な範囲のストレス設定ができたように思うが、現代では、環境が大きく変化し、どのような仕事に就くかも流動性が高まっているので、自分の上の世代の経験があまり参考にならないのかもしれない。