私たちの宝物は子供である
子供が未来である

私たちの宝物は子供である
子供が未来である

私たちは子供にどんな世界を残してやれるのだろう

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私たちは子供たちに世界はどの程度残酷で悪い場所であるか、
正直に説明したほうがいいのだろうか

あるいは、世界は竜宮城だとは言わないにしても、
アルプスの少女ハイジの生きている世界程度によい世界だと
だましておいたほうが良いのだろうか
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とても良い人もいると説明するのはいい
道徳の教科書で「曽野綾子」という人が登場する話を聞いたことがある

とても悪い人がいると説明するのは子供の精神発達を考えてみたときに
どの程度の加減で話したらよいものだろう

銀行には老人に無駄な金融商品をノルマ達成のために売りつける悪い人がいますよ、
不動産屋にはこういう悪い人がいますよ、
人材紹介業などは商売はひどい中間搾取で成立していますよ、
立派なスーツを着ていても、中身は詐欺師ですよ、
皆さんがネットで見ている情報は嘘が多いし、
嘘でないとしても、誤解が多いし、
情報は全般に、皆さんが誤解するように誘導しようと大人たちが必死に考えているんですよ、
コマーシャルは、嘘すれすれの印象操作なんですよ、
皆さんが大好きなゲームは、子供を楽しませようと考えているのではなくて、
皆さんからお金をむしり取るために大人たちが必死に考えたものなんですよ、

新聞、ネット、コマーシャル、これらの情報の真偽や価値をどう判断するか、
子供には無理なような気がする。もちろん、平均的な大人にも無理なのだけれども。

開発途上国と先進国の関係などどこまで説明してもよいものだろうか、
あるいは歴史上の悪行ならばある程度あからさまに語ってもよいものだろうか

給料が契約で守られている場合、人は必ず怠けることに、経営者は対処できない
善良な経営者は破産して消えてゆく
だから国はいつまでたっても赤字である

社会保障にしても、「あの人の善意で今年の大晦日も越せた」と具体的な善意の人物がいるなら、教育にもなる
そうではなくて、国という抽象的なものから、支給される社会保障費であれば、だれにどう感謝して将来どのように還元すればよいものだろうか

貧者にとって富裕者は抽象的である
富裕者にとっても貧者は抽象的である

貧者が具体的であれば惻隠の心も生じるであろうが
富裕者は城壁の中に住んでいて貧者が見えない

成功者の成功は偶然の要素も大きかったと謙虚になることができない