昌益の言語革命 抑圧に甘んじるよう人間をだますことに役立ってきた言語 言語にはイデオロギーが浸透している

安藤昌益(1703-62、江戸時代八戸藩、現在の青森県八戸市の開業医)についての紹介に次のような一節がある。
「まず何よりも先に疑ってかかるべきものとして、昌益は言語をあげる。彼によれば、不平等と偏見の規範は、過去においては先祖から受け継がれ、現在では上から押し付けられる権威的言語によって、時空を超えて伝播されてきた。しかし固定したいわゆる政治的道徳的知識は、人間の悲惨さを永続化する政治システムを支えてきたものであるがゆえに、信じるに値せず、偽りである。抑圧に甘んじるよう人間をだますことに役立ってきた言語は、それ自体、挑戦されねばならない。

このようにして昌益はおびただしい知的エネルギーを使い、個人的辞書(「私制字書」)あるいは漢字辞典を編んだ(昌益全集第二巻全部を占める)。その中で、広く受け入れられている言葉や概念に、彼は因習にとらわれない異例な読み方を付している。このいかにも彼らしい風変わりな実践によって、昌益は、今日的表現で言えば、「言語にはイデオロギーが浸透しているのだから、創造性はまず言語に向けられなければならない」と主張する。道徳的言語を、その表意形式と意味を問うことなく真実として受け入れるということは、人々の偏見の永続性と同義であり、創造的な出発を不可能にしてしまう。」

昌益の挑戦の一つは、多くのアジア哲学において自然の秩序を特徴づけるのに用いられてきた「天」と「地」という語への挑戦であった。昌益はこの既定の呼称に疑義を呈した。彼らよればその呼称は、実際には自然界の秩序を明確にするのではなく、超越的と現世的、高きと低き、貴族と小作農、支配者と被支配者、男性と女性の区別を追認する働きをしているという。
正反対のものの平等を表すメタファーとして用いられる陰陽二元論はごまかしである。なぜなら、それは合わせて一つになる二つの平等な半分ではなく、「陰・受動・女性」よりも「陽・能動・男性」が好まれる不平等な二分化であるからだ。

「天地」を「転定(てんち)」と置き換え、「男女」を「ひと」と読む。
このようにして、不平等を含む二分法を回避した、平等の二分割の言語を作り、定義していった。

昌益は、最終的には天からの道徳的命令によって正当化される社会の階層性を、欺瞞の極地であると批判した。荻生徂徠が理論化したように、そのような天からの命令が歴史の時間の中で周期的に下されようと、歴史の最初にのみ下されようと、昌益にとってはどうでもよいことであった。

昌益は、自然の秩序が法の世界に服従させられることに承服できなかった。
自然は人間の法の上にある。

直耕の話
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このように論じられる昌益の言語革命であるが、発想は誠に正しい。しかしそれを是正するどのような方法があるのか、難しい。