マルクスとフロイトを取り上げて、疑似科学であり、宗教的なものであるとする意見がある。

マルクスとフロイトを取り上げて、疑似科学であり、宗教的なものであるとする意見がある。意見があるどころか、わたしは科学ではないという意見に賛成だし、宗教的だという意見にも賛成である。
科学ではないという場合に、マルクスは歴史を扱い、フロイトは人生を扱う点で、どちらも物理学を模範とする自然科学の方法がうまく適用ではない分野であるという共通点がある。
完全にコントロールされた実験を実現することが難しい。従って、反復実験することができない。いろいろな社会を比較することで、また、いろいろな個人を比較することで、実験の代わりにできる部分もあるが、厳密に言えばそうではない。
歴史も人生も一回限りのことであり、実験は難しく、できるのは観察だけである。
そのような制約の中で、法則や原理を求めることが仕事になるのだが、実際には歴史も人生も複雑すぎる。変数が多すぎる。
そのような中で複雑さを大胆に割り切って、マルクスは史的唯物論を、フロイトは深層心理学を提案した。
そしてそれは、天文学に対する夢占いのようなもので、人々の心を広く捉えたが、仮説は棄却されて、現在に至る。両者とも物語としては興味深い。こんなにも興味深い話をよく考え付いたものだと思う。だからそれらは、人間の脳の特性の一部に良く適合しているのだろう。しかし外部の現実には適合していなかった。

そうなると、マルクスとフロイトで何が共通していたのかと考える。思考の背景、ユダヤ人的教養、時代背景、考察対象の一回性、など。