マルクスとフロイトの同型性と集団の法則
どちらも対象が一回限りのもので実験に馴染まない。そのときも自然科学的方法は可能であるか。その可能性を探ったが、両者とも神話のレベルにとどまった。信奉者または信仰者を増やすことには大いに成功した。しかし時間がたって批判にさらされ、否定されていった。
マルクスもフロイトも、提案している考え方は人ではなく、時代を経過するごとに変化を見せている。従って、どの時期の説を取り上げて批判するかについても、問題がある。
フロイトは出発の時点ではかなり生物学的であった。個体発生は系統発生を繰り返すという知見を踏まえて、精神性的発達を仮説として提出した。それ自体は合理的で科学的である。また無意識の世界を考え、精神構造を水力学的比喩で説明した。それも当時の科学的方向としてそれでよかったと思う。したがって初期には自然科学的要素が強かったとはいえると思う。
しかし後年になりずいぶんと変容する。エディプスコンプレックスは自然科学的裏付けのない話だと思うし、各種の有名な精神分析にしても、ジャーナリスティックな話としては面白いし、一般受けするものだったと思うが、それ以上ではない。
フロイトの初期の段階で自然科学がもっと発展していて、脳についての機能解剖学や発生学が進歩していたら、もっとずっと違ったものになっていただろうと思う。現在でも脳についての自然科学はそこまで追いついていないので、現代にフロイトが生まれても、まだ早すぎると思う。
また世間の受け止め方としても、フロイトとしては当時の神経科学のシャルコーなどの自然科学の正統な流れを汲んでいて、その方向を推し進めようとしたのだが、途中から、世間は夢占い的な、あるいは性的秘密の開示のような、そのような興味に移行してしまったことがあるだろう。神経症としてはそのような部分はあるのだからそれは良い部分もあるのだろうが、問題もあった。
こうしてみてみると、フロイトは最初は天文学を目指したが、次第に夢占いになってしまったと言えるのではないか。
その過程で自分の弟子を認定する方式を造りだし、組織として永続できるようなことも考えた。認定された精神分析家の分析を受けた人間でなければ精神分析家として認めないとした。自然科学は決してこのようなものではない。このあたりは自然科学者というよりは世俗的オーガナイザーであった。
様々な反論はあったが、強力に反駁した。弟子の離反もあったがそれでも持ちこたえた。新興宗教の開祖に似ているところがある。
マルクスについては、やはり最初の発想はかなり科学的であった。下部構造の変化を観察し、資本主義制度の変容を分析、貧富の拡大とともに必然的に上部構造に変動が起こる。政治制度や革命の話を抜きにして、下部構造が上部構造を決定するという発想は抜きんでたものであり、歴史を科学的に説明する画期的な仮説だった。上部構造は政治だけではなく、宗教でも芸術でもいい。
素朴に考えると、かなりの原始状態であれば下部構造が上部構造を規定するということは言えると思うが、かなり発展したのちには、上部構造が下部構造に影響を及ぼすこともあるのであって、お互いに影響しているというのが実態であろうと思う。
マルクスは根本的な提案をしたと思うが、ことがらが権力や革命にかかわることなので、その後は非常な混迷をたどることになる。
どちらも最初は科学的な方向を目指したが、結局世俗集団的な方向に行ってしまった。マルクスのほうは政治集団そのものになったし、フロイトのほうは疑似宗教集団とかにたとえられる。
科学的方向を目指して始まったが世俗集団になった。世俗集団になったおかげで大衆の知るところとなった。マルクスの最初の意識とかフロイトの最初の方向付けとかそんなものは大衆の知るところではなかった。原典を読むのは難しいし、翻訳をするのは各国の小権力者なのでそこですでに世俗集団の力学が発生する。大した翻訳でもないのにむやみに権力を振り回す。周りの取り巻きも権力のおこぼれにあずかろうとして現世的にふるまう。
こうして概観すると時代のせいか個性のせいか対象物のせいか、似たところが多少はある。
フロイトは個体発生と系統発生を基盤として精神性的発達を説明した。これは下部構造が上部構造を規定する例の一つであると考えられる。
マルクスは生産関係の分析から下部構造の変化を抽出し、そのことが上部構造を規定していると仮説を出した。フロイトの場合の生物学的な下部構造が、マルクスの場合は生産関係の下部構造になっている。この点で同型性がある。
そしてその後、世俗集団の理念となり、小権力者を生み、次第に衰弱して否定されていった。
マルクスは宗教は民衆のためのアヘンであると言って批判した。
しかしマルクスもフロイトも民衆のためのアヘンとなった。これは人間集団の必然なのだろう。私はむしろここに法則があると見る。