愛国であったなら、外国の軍隊が駐留することに賛成しません。むろん、日本を従属的な地位に置く旧統一教会と手を組みません

「自民党が掲げる『保守』や『愛国』の実態は、最初からよじれていました。もし本当の保守であったなら、市場自由化と改革に血道を上げるはずがありません。愛国であったなら、外国の軍隊が駐留することに賛成しません。むろん、日本を従属的な地位に置く旧統一教会と手を組みません」
「元々理念が何もない党だということです。米国の要請で日本を『反共のとりで』とし、米国の言うことをなんでも聞く。それを自発意思でやっているように国民に見せかけてきた政党ですが、今となっては共産主義は『資本主義に敗れた陣営』としか人々は思いませんし、『共産主義への恐怖』にもピンと来ない」
「自民党の『中身のなさ』が明らかになりつつあります。本当は既に終わっているのに、終わっていないように見せかけてきたのが自民党の実態」(作家の赤坂真理、2022年9月新聞で)
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自民党憲法草案の中身を見て驚嘆した人も多いのではないだろうか。低レベルで、方向はねじれている。おままごとか。
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「外国の軍隊が駐留することに賛成しません」について思い出したので書いておく。
「仲井真知事 裏切り」で検索するといろいろな情報がある。
かいつまんで記録しておく。
2006年、普天間飛行場の辺野古移設に関する日米合意の見直しおよび普天間の県外移設を公約としてして知事選挙に当選した。
しかし2013年12月25日、安倍晋三首相と会談後、27日に公約を翻し辺野古埋め立て承認を発表したのである。
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この時の様子はニュースで放映されたので覚えている。長時間の会談の後、テレビカメラの前で、公約を撤回し、政府方針に従うことにしたと語っていた。かなり長時間の会談だったように思うが、その中で一体何があって、こんな疲れ切った不安な表情で公約撤回を語っているのだろうと私は不審に思った。何があって考えを変えたのだろうか?おそらく、ただならぬことだ。あの時の表情は何を意味しているのだろうか。何をされたのだろうか。悪いことが起こっているような気がした。
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公約撤回から知事退任に至る様子は次のように記事にある。
2013年12月25日、東京で安倍首相と会談し、米軍普天間飛行場の代替施設として名護市辺野古の埋め立てを27日に承認する意向を固め、振興予算を予定通り確保できたとして、安倍首相に対し「私は応援団」「有史以来の予算」「驚くべき立派な内容」「これは良い正月になる」と発言した。また安倍首相に「140万県民を代表してお礼を申し上げる」とも発言したが、仲井眞は17日の沖縄政策協議会以降、県側と連絡の取れない状態にあった。
12月27日、政府による辺野古の埋め立て申請について「基準に適合していると判断し、承認することとした」と表明した。
2014年1月10日、沖縄県議会の本会議において、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことは公約違反だとして、知事の辞任を求める決議が可決された。ただし、決議に拘束力はなく、仲井眞は辞任しない意向を示した。
2014年11月16日の沖縄県知事選挙には自民党の推薦を受け出馬。オール沖縄で辺野古新基地建設反対を掲げた新人の翁長雄志に10万票の大差をつけられて落選した。

「晩節を汚す」とはこのことだ。選挙で負けた知事が、任期残り4日というタイミングで辺野古の基地建設をめぐる手続きに逃げ切り承認をしてしまった。副知事ら側近でさえ、直前まで読めない行動だったという。辺野古の基地建設が最大の争点になった知事選挙で、沖縄県知事を2期も務めた人物が10万票という大差をつけられて落選したのだ。これは紛れもない「不信任」なのであるから潔く去る以外にないはずだった。
 退任の挨拶といいながら、先月28日、また何やら政府と密談をしてきた仲井真知事。昨年末に政府と密談後に公約を破って埋め立てを承認したときのように再び県民を裏切るのでは。沖縄全体に戦慄が走った。落選して引退が秒読みの中で、まさか承認まで? と半信半疑ながら、退任わずか5日前の12月4日、2千人あまりが冷たい雨の中、県庁に詰め掛け「判の押し逃げは許さない」と庁舎を包囲した。
 ずっと辺野古のテント村を守ってきた安次富浩さんはこう言った。「最後にやり逃げするような知事は沖縄の歴史にいなかった。(昨年末仮病を使いながら政府のいいなりになったが)今度は県民のために仮病を使ってでも手続きをしないで欲しい」。とても優しい言い方だ。安倍政権に無理強いされているのだろう? 最後に自分を、沖縄を汚すようなことはやりなさるな、という忠告なのだ。立場は違えども同じ県民同士、仲間だと思うからこそ誤った判断をさせてはならないと必死で説得もするのだ。

 しかしそんな県民の声など意にも介さず、彼は翌日知事公舎に関係者を呼び、機動隊にガードされる中あっさり承認の手続きをしてしまった。県民の前に全く姿を見せずに。
 退任前日の週明け8日も、久々に県庁に登庁するものの面会を求める市民から逃げるように6階から非常階段で地下駐車場に逃走した。仮にも、まだ現役の県知事が県庁内を逃げ惑う。地元紙が逃げていく仲井真知事を激写しているが、まるでお尋ね者の風貌。ひどく憐れだ。

 任期最終日の9日、県庁は早朝から集まった県民の怒号に包まれた。県はこれ以上荒れるのを恐れて午後の予定だった退任式を急遽午前10時からに繰り上げた。ロビーには規制線を張ってSPと県庁職員を並ばせて怒れる県民を入れないようにした。いつもは誰でも自由に利用できるエレベーターも止める始末。そこまで規制する権利があるのか、どっちの味方だと詰め寄る市民。緊迫する館内には副知事から異例のアナウンスが流れ始めた。
 「県庁職員のみなさんにお願いします。それぞれ考え方に違いは有っても、8年間仲井真知事を支えてきた県庁職員として、知事の労をねぎらい、退庁を温かく見守っていただけないでしょうか」
 業務命令で知事を守るために並び、エレベーターを止めて県民を追い返し、拍手で知事を見送る県庁職員たち。彼らの拍手と怒号が混ざることのない不協和音となり、県庁を揺さぶった。その中に拍手をしないで遠くを見ている職員を複数見つけたことは救いであった。明日から彼らは、180度違う考えの翁長新知事に仕えるのだ。

 歴代知事は広いロビーで職員に抱えきれない花束をもらって退庁する。しかし仲井真知事の離任式は密室で行われた。最後の会見で仲井真知事は「県庁の仕事を邪魔して大騒ぎする“反対派の人たち”は不謹慎だ」と、顔を真っ赤にして怒っていたそうだ。こうなることは予想できなかったのだろうか。そして「この場に及んで、やはり埋め立てを承認したことは間違っていたと思いませんか?」という記者の問いには「全くもって間違っていたとは思っていません」ときっぱり言い切った。
 厳戒態勢がしかれたロビーに下りた知事は警護に脇を固められながら、最後まで悪びれることなく、県庁の出口から3メートルほどの近さに用意された車に逃げ込んで県庁を去った。「恥ちらー!(恥知らず)」「裏切り者!」という怒号が、県民を裏切った老知事に送られた最後の言葉だった。

 異例ずくめの退任劇は終わった。でも私は彼個人を責めて溜飲を下げたくはない。彼はなにも一人勝手に知事になったのではない。2006年には34万7303人が、2010年には33万5708人が、彼に票を入れているのだ。私は本気で聞いてみたい。延べ68万3011人の票を投じた県民は、いったい何を見て仲井真氏に票を入れたのか。少なくとも、県民の審判の上に新任された次期知事の意向と真逆の、重大な事案の駒を進めて逃げる。そんな人物を選んでしまう見る目のなさについては、有権者の落ち度としかいいようがない。それはそのまま、この国を戦争に向けて転がしていく総理を選び出してしまう日本国民の浅はかさと同じである。残念ながら、有権者の民度に見合う政治家しか選挙に通らない。

また、次のような記事もある。
 2013年12月27日午後1時すぎ。那覇市寄宮の知事公舎に集めた県の全部長を前に、仲井真弘多知事(当時)が報告した。

 「辺野古の埋め立て申請を承認します」

 既報の事実だった。だが、幹部の一人は声を上げた。「振興策と引き換えに辺野古の基地を受け入れる形になっている。それは違うでしょう」

 仲井真氏は2日前の25日、首相官邸で安倍晋三首相(当時)と会談し、21年度までの沖縄関係予算3千億円台確保を取り付けた。「有史以来の予算」「いい正月になる」と政府を絶賛する発言を繰り返した。多くの県民には、これまで沖縄県が否定してきた基地負担の見返りに政府が経済振興策を講じる「基地と振興のリンク論」を知事自ら受け入れたと映った。

 幹部が苦言を呈した約2時間後、仲井真氏は記者会見で「承認」を発表した。

◆議事録やメモ「不存在」
 仲井真氏は13年の県議会6月、9月定例会で繰り返し普天間飛行場問題の解決策として「県外移設」を強調した。一転、承認に至った背景にはどんな議論と政策判断があったのか。

 本紙は、仲井真県政下での埋め立て承認の審議と決定に関する会議の議事録やメモを県に開示請求したが「不存在」だった。

 「仲井真氏の政治判断。仲井真氏が会議で相談することは一切なく、私たちが入る隙はなかった」。当時の県幹部はこう明かす。

 承認直前の12月、仲井真氏は都内で菅義偉官房長官(当時)と極秘会談。当時、知事が入院していた都内の病院では額賀福志郎元防衛庁長官ら複数の自民党幹部の姿が確認されている。だが、話し合われた内容は闇の中だ。

◆後世に残らない歴史
 県民世論を二分する政策決定過程が分からない-。この現実に当時、企業局長だった平良敏昭氏は「後世に正確な歴史を残すべきだった」と自戒を込める。

 承認判断に関し、仲井真氏は幹部会議に諮らなかったとされている。「本当のことは知事の胸の内にしかない。その事実を文書として残すのは現制度では難しいかもしれない」と語る。

 だが、仲井真氏が承認の事実上の「条件」とした普天間飛行場の5年以内の運用停止は19年2月に期限を迎えたが、運用は続く。そして、約束した毎年3千億円台の沖縄関係予算は最終年度を迎えた。

 承認から約8年。新基地建設に反対し誕生した故翁長雄志知事、現玉城デニー知事と政府の辺野古を巡る対立は続く。

 平良氏は「政治判断をした知事が後に秘書に語ってメモを作り残すなど、記録を残す新しい仕組みが必要だ」と提言する。それが県政を預かる者としての県民への責任だと感じている。

また、次のような記事もある。
知事密会 県民への二重の裏切りだ
2014年1月25日 08:15
 仲井真弘多知事が22日夜、東京都内のホテルで菅義偉官房長官、自民党の石破茂幹事長と極秘に会談し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題で意見交換した。

 菅、石破両氏が事実を認め、県幹部も「菅氏側から公表してほしくないという話があった」と述べ、会談があったことを明確に認めた。
 ところが会談後、知事は記者団に「会っていない」と否定した。24日の県庁での記者会見でも「私は彼らに会ったつもりはありません」と虚偽の説明をした。
 報道陣に嘘(うそ)をつくことは、報道を受け取る県民をだますに等しい。平然と嘘をつく知事であれば、今後、県議会答弁も信用できまい。もはや知事は辞職を免れない。自らの言動に自信があるのなら、選挙で堂々と県民に信を仰ぐべきだ。
 極秘会談では、名護市長選で辺野古移設阻止を掲げる稲嶺進氏が当選したことを踏まえ、菅氏が「市の権限は限られており、移設を進めたい」と述べ、石破氏は「辺野古移設を進める党の方針に変わりはない」との意向を伝え、知事に理解を求めたという。
 これに対し、知事が反論した形跡はない。会談自体を否定するのだから、よほど後ろめたいことがあるのではないか。知事が説明責任を果たさないのだから、県民は知事が県内移設の国の方針を丸のみしたと受け取めるほかない。
 仲井真知事はまた、会見で耳を疑うような発言もした。昨年1月に県内41市町村の全首長、議会議長、県議会議長らが連名で普天間の県内移設断念やオスプレイ配備中止などを求め首相に提出した「建白書」の意義について記者に問われると、「記憶があんまり定かじゃない」とコメントを避けた。
 語るに落ちるとは、こういうことを言うのであろう。知事は「建白書」で示された民意に背を向ける自らの不明を恥じるべきだ。
 知事の埋め立て承認後に琉球新報などが行った県民世論調査では、県外・国外移設と無条件閉鎖・撤去を求める声は合わせて73・5%に上った。埋め立て承認の判断には、61・4%が不支持だった。
 知事がこうした民意を代弁せず、政府の御用聞きのように振る舞う姿を見続けるのは耐えがたい。
 埋め立て承認と密会で、知事は県民を二重に裏切った。もはや県民代表を名乗る資格はあるまい。自ら進退にけじめをつける時だ。