ずっと昔には文芸評論にもフロイト的な解釈が用いられたりした。現在ではもう見られない。ところが先日見かけたのは、どこかの有名大学の英文学の教授が、英文学の有名作品を、認知行動療法的な分析をすると言って、何かしていたことだ。
たぶん、その人の考えは、昔は精神分析だったけれども、いまは認知行動療法だと聞いているから、現代の文芸解釈は認知行動療法の考え方を応用すべきだと考えたのだろう。
認知行動療法はそのようなものではないと思うのだが、世間にはいろいろな考えがあるものだ。
そんな世の中に住んでいるのだということを自覚しておく必要がある。
自分の専門のことだから自分なりに判断できるが、専門外のことでこのようなことが行われていたら、そうか、現代版ではそんな感じなのかと素直に思っているのだと思う。