戦後純粋民主主義の短い一時期を考えてみると、人々の基礎的教養は軍国教育だった。年長のインテリは別としても、15年戦争を生徒や学生として生きてきた若い人は、芯からの愛国主義者として育てられた。それなのに、敗戦直後は、解放された喜びがあったというのだから、愛国主義教育は一体何を教育していたのだろうと思う。教育勅語は軽々と棄てられた。
結局、愛国教育と言っても表面的なもので、状況によって、天皇主義者にも、中間的権威主義者にも、また民主主義者にもなりうる人間を育てていたに過ぎないのではないか。状況に従順な人間といえばいいのだろうか。
状況に応じて適応していける人間が存在しただけで、状況に反して理想を掲げる人間を作ったのではないのではないか。
もし軍国主義・皇国主義教育を受けた人間が、一瞬にして純粋民主主義者になれるのならば、教育の表面的な建前と、本質の部分とは違うことになり、現行の偏向教育が表面的に何をしていても、結局、一瞬で人間は状況に適応するというだけではないか。とすれば、人間は案外信頼できるものだし、一時の偏向も、あまりに悲観的に感じる必要もないのかもしれないのである。
楽観的過ぎるかもしれない。しかし希望を抱いて元気に生きたほうがいいだろう。
現状の大きな流れには抵抗しきれないのが人間だろう。それは絶望であるが、上のように考えられるのならば、そのうちまた振り子は逆に振れるだろうと考えてもいいのかもしれない。それがいつになるかは分からないけれども。
振れるとしてどこに向かって振れるのかは、そんなに各種あるわけでもないような気もする。振り子をイメージするのは、右と左と真ん中くらいを考えるからかもしれない。
命を懸けて一粒の麦にならなくてもいい、観察者になってもいい、とするのは臆病だろうか。
傍観者はだめだと言われそうであるが、勇ましい人ばかりではないのだ。