人間は成長すると、自分自身の過去のある部分については否定的に考えるようになるだろう。ずっと自分を肯定しているなら、成長しなかったということだ。
自分のことであり、主観的な事情はよく知っているから、まじめな人ほどごまかしにくくなる。結果として、過去がフラッシュバックして抑うつ的になる。
もちろん、できるだけ客観的な立場に立って、あの時はそれで仕方なかった、誠実な生き方であったし、成長の途上では仕方のないこともあると考えることもできる。そうした観点が本人を楽にするだろう。
しかしまた、自分で自分を顧みる場合、いろいろな心的防衛機制が働いてしまうのも仕方のないことである。自分を守るために自分の都合のいい部分しか思い出さないし、都合のいい言い訳や理屈を考えて、納得してしまうこともあるだろう。
そのあたりを含めて公正に評価するにはさらに時間が必要となるのだろう。時間がたてば自分を否定しても痛みは少なくなるのではないだろうか。
そう考えると、人の一生は短すぎる。
人生の考察について、祖父くらいの立場から、知恵を授けられることが必要なのだろうと思う。そして自分の観点と同時に祖父の観点から考えられるようになれば、二つの視点を持つことになり、それがいいことであるようにも思う。