邪宗と政治 目標はお金

統一教会は宗教を金儲けの道具にしている。
自民党は政治を金儲けの道具にしている。

信教の自由があるから税金免除というなら、まず、真に「信仰の自由に値するのか」、自称宗教と本当の宗教の区別をしなければならない。
本当の宗教がなんであるかの社会通念を一定レベル以上に鍛えなければ、似非宗教、邪宗、自称宗教が金儲けのために国民を不幸にする状況は続く。
いままで優遇されすぎていた。甘い蜜を吸いすぎていた。
自称宗教と本当の宗教の区別ができないならば、できるようになるまで、つまり国民が成熟するまで、税金優遇は一時停止にしてよい。税金優遇をやめることが宗教弾圧になるわけではない。
それでも、宗教を続けたいという人たちがどのくらいいるのか、観察すればよい。
金儲けがしたい人は、別の効率のいいビジネスに流れてゆくだろう。

という具合に、威勢が良い感じでいろいろと言うものの、まあ、深く考えると、そういうものでもないのだ。真の宗教も、最初は自称宗教で、世間からは邪宗と言われたのだ。鎌倉仏教でも、キリスト教でも。
しかし、その当時、宗教団体を国家が優遇することもなかっただろう。真の宗教と邪宗は区別が難しい。
信仰しているのか、洗脳されているのか、簡単ではない。
しかしながら、弾圧はいけないが、優遇も必要ないと思う。
商売としてうまみがない程度に環境を変化させれば、真の信仰だけが残るのではないだろうか。

これは宗教とは何かの問題ではなく、我々の社会が、真の宗教であろうとなかろうと、過去の因縁や現在の不幸について心理操作して、過大な金を奪い取る行為は許せないという、それだけである。
その延長で、お札を売る、おみくじを売る、お守りを売る、新車のお祓いをする、地鎮祭をする、戒名を売る、などの行為も、社会的に容認できないという立場も論理的である。また、それは社会習俗の中に根付いた、宗教というよりは、習俗であると主張する人もいると思うが、いままでは許されてきたものも、そうしたことの延長に、カルト宗教の途方もない詐欺行為があったのだと考えて、一挙に禁止にしてしまうのも合理的である。政治選択には幅がある。
宗教は民衆のアヘンであるとの意見もある。
いったん宗教法人の税率を高くして、それでも宗教として存立を目指す人々なのか、儲けが薄いならほかの方面でと考える人たちなのか、あぶりだせばよいと思う。

同様に、政治家も、儲けの薄い仕事だと認識されるように制度を変更してゆけばよい。
政策決定の透明度を高めること。さらに結果としての資金の流れをガラス張りにすること。悪事が露見したらかなり重い懲罰を課すこと。
金持ちの子供が、一人は政治家になり利益誘導し、一人は実業家になり、その利益を受け取る、そのような構造をいつまで許しておくのか。政治家はもうからない仕事だと徹底させて、それでも、志のある人間が政治家になってほしいものだ。

昔は学者は貧乏と決まっていたから、お金持ちの養子になったり、婿になったりしたものだ。そのようにして、大蔵省の官僚が、妻の代々の地盤で立候補して当選を重ねたりした。その場合は、政治によって金儲けする必要はない。たとえば鳩山家などもそのような境遇である。2代目鳩山威一郎は婿である。太宰治の生家である津島家もそのような婿取りをしている。
資金の流れをガラス張りにする点ではマイナンバーカードは使えるかもしれない。国民全体に強制する必要は全くないが、政治家には厳格にマイナンバー制度を強要し、金の流れを明確にし、万が一、裏の資金の流れがあるようなら、年月を費やしてでも、明らかにして、逃げ道をふさぐことだ。政治資金マイナンバー制度を作ろう。
政治資金団体を受け継いだ時に税金もかからず甘い汁を吸うのが当然で、そのほか抜け道がいくらでもある現状では、金のために政治家になる人間が続出するはずである。
そのような制度を許しておきながら、政治家を批判するのは、批判者もこの長年のプロレスに加担しているのである。