『自発的隷従の日米関係史』 [著]松田武 岩波書店2022
書評を引用する
隷従は追随や一辺倒と同義語だが、戦後の日米関係がこの語で語られるのは事実である。日本社会は「対等でありたい」という建前と「依存していたい」本音との間を揺れ動いてきた。この微妙な関係を見つめ直すのが本書のテーマになるのだが、アメリカ史を紐解(ひもと)きながらの分析には、興味深い史実とともに新しい視点があり、驚かされる。
例を挙げれば、「スマート・ヤンキー・トリック」なる語がある。相手国から懇願されるという形で、欲しいものを手に入れる手法だ。昭和天皇が1947年に「米軍の継続的な沖縄駐留」をアメリカに求めたのは、米側のこの外交戦術の成功だったと著者は見る。さらに、沖縄返還時には核兵器を沖縄から撤去するとの約束があった。しかしこれは表の部分で、裏は朝鮮半島や台湾、東南アジアの非常事態の際には、沖縄や日本本土への核持ちこみに、日本政府は「否」と言わない約束だったという。
こうして具体的な例をもって日米関係史を論じ、米国での学究生活の経験もある著者の指摘は、読者を納得させうる。
これまでにも、アメリカの指導者は日本を理解できない旨の言を吐いてきた。ニクソン元大統領の「日本人は、アジアのいたるところでシラミのように群れをなしている」という発言などがそうであろう。著者によれば「日本人は感情に流されやすく、状況次第でころころと立ち位置を変える一筋縄ではいかない国民」と捉えているがゆえに、核兵器を持たせたり、自主独立の路線を取らせたりしないよう、常にチェックしておかねばならない国だと考えているという。それが真珠湾攻撃以来の潜在的心理になっているのであろう。
では、どうすればいいか。私たちはこの70年、日米安保体制という巨大な秩序体系のもとで育ってきた。この秩序をより対等にしていくため、個人が臆することなく意見を発信する草の根運動を、著者は提言する。
というのである。
スマート・ヤンキー・トリックの話。